2019年5月8日水曜日

読書最高!

「外国史」ほか担当の高津秀之です。2019年度の特別企画講義「書を読もう、図書館へ行こう!」では、毎回担当の教員が、自分にとって大切な一冊、お気に入りの一冊を取り上げて、本との出会いを語っています。5月7日は私の担当。J.R.R.トールキンの『指輪物語』についてお話をさせていただきました。

 皆さんが無人島に行く羽目になったとします。持っていくことができる荷物の量は限られていて、1冊しか本をもっていくことができません。皆さんは何を持っていきますか―、ありがちな質問。とはいえ、難問です。しかし、私は(あまり)悩まず、『指輪物語』を持っていくでしょう。講義では、この本の魅力について紹介するとともに、この本が私にどんな幸せをもたらしてくれたかについて話をしました。普段の授業ではなかなか自分の個人的な事柄について話したことないですから、実はとても緊張していたんです。ですが、講義の後、皆さんが書いてくれたコメントを読んで、とても嬉しくなりました。

「私もファンタジーが好きなので、楽しかった。」
「あまりファンタジーに興味がなかったけど、読んでみたいと思った。」
「ファンタジーを役に立たないというような、つまらない大人になりたくない。」
「ファンタジーの世界は決して意味のないものではなく、真の現実である―、深い話だと思った。」
「世界創造の魅力について。作者も読者もわくわくするものだと思う。」
「トールキンさんはすごい人だと思った。まさに神!」
「大学の先生が白紙のテスト用紙に書いたのがきっかけと聞いて、驚いた。」
「図書館へ行って、私も読んでみたいと思った。」
「ひさしぶりに読みたい本に出会えた。」
「私も小さいころ、何度も読み返してしまった本があります。」
「読書最高!」

・・・といった、たくさんの素敵なコメントをいただきました。感謝感激です。
講義の最後に、私は、マルセル・プルーストの「一生にただ三冊か四冊の本が、ほんとうに重大な何かを与えてくれる」という文章を紹介し、皆さんに問いかけました。
一生かかっても三冊か四冊か、コスパ悪いな―そう思うかもしれない。しかし、そういって図書館に行き、本を読むのをやめてしまったら、「三冊か四冊」どころか、一冊も見つからない。読書という「真実の生」を体験することはできない。さぁ、みなさんはどうする?

コメントの中に、それに対する答えを見つけました。
「私も運命の一冊と出会うために、まずはたくさんの本に触れるところから始めていこう。」
「本を読み続け、3、4冊の本と出会いたい。最初から負けたくありません。図書館に行きたいと思った。」
みなさんに私の「一生ものの本との出会い」体験を語ってよかったです(少し恥ずかしかったけど)。出席者の皆さん、コメントをくれた方々、どうもありがとう。また、こうした話をしたいものです。

現在図書館では特別講義の関連書籍を展示中です。
どれも名著!











私の『指輪物語』。是非手に取って下さい!









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2019年度「特別授業」のご紹介


2019年3月25日月曜日

【学問のミカタ】論文執筆と翻訳と

 「世界政治論」他を担当している早尾貴紀です。

 ここ3年連続で研究書の翻訳を出しました(研究仲間らとの共訳で)。いちばん最近のだと、この2月に出したエラ・ショハット&ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化』(法政大学出版局)というものですが、ともあれこれでここ数年取り組んできた大きな翻訳仕事3冊が一段落してホッとしたところです。難解なうえに分量も多く、さらに翻訳には「版権」という刊行期限があるので、スケジュールが切羽詰まってとてもたいへんでした。ですので、正直なところもうしばらくは翻訳の仕事はしたくないなぁ、と思っています。

 ところで、研究者にとって「翻訳」とは何でしょうか。それは一言で言えば、世界的な視点で見てきわめて重要な研究を日本語圏に正確に紹介導入することで、自分の研究をより深めると同時に、関連する研究分野のコミュニティや日本語圏で暮らす市民社会でそうした高い研究水準の書物の議論を共有することです。

 さて、研究活動と翻訳に関して、私の個人的なバランスとサイクルのことを書いておきます。翻訳に没頭していると、翻訳をするのに引用文献にも当たったり、適切な訳語を探すために関連分野の勉強をしたりなどして、ものすごく勉強が進みます。そうして数年集中していると、次第に自分自身で研究論文を書きたいという欲求が高まってきます。実際、翻訳に邁進する時期が一段落すると、論文を積極的に書く時期に切り替わっていきます。

 ところがです。論文を書いて、また次の論文を書いて、と続けていくと、次第に自分が空っぽになっていく気がするのです。そしてさらに、自分が書いている論文がスカスカなものに感じられるようになり、そんな論文を書くぐらいなら、むしろ世界レベルの研究書の翻訳紹介をしていたほうが世のため人のためになるのではないか、という気分になってきます。そうしてまた翻訳作業をする時期に切り替わっていきます。

 私の場合は、数年サイクルでそういう気持ちの切り替わりが起きているようです。あくまで私の場合はですが。ということで、今年から数年は書く時期です!

3月の【学問のミカタ】
・経済学部「東京一極集中とは
・経営学部「ピークですね (T_T)
・コミュニケーション学部「『コミュニケーション学』の海へ漕ぎだすために
・現代法学部「旅先で見つける海外法律事情
・キャリアデザインプログラム「ジョブシャドウイングは『観察学習』のキャリア教育プログラム

2019年3月14日木曜日

2019年度「特別授業」のご紹介

 新年度の授業履修登録の時期が近づいてきました。今回は全学共通教育センターが開講する「特別授業」をご紹介したいと思います。その中には「特別講義」と「特別語学」があります。

 「特別授業」とは、「卒業要件表」には載っていない、通常のカリキュラムとは別の授業のことで、今学んでほしいホットな内容を扱いたい場合などに、期限付きで開講するものです。2019年度、全学共通教育センターでは以下の「特別講義」を開講します(科目名をクリックするとシラバスを読むことができます)。

中国事情
多様性社会に資する心理支援を実践する a
多様性社会に資する心理支援を実践する b
多文化主義と現代社会 a 
多文化主義と現代社会b
書を読もう、図書館へ行こう!

 「特別語学」とは、2~3年の期限付きで開講される語学の授業です。本学では、毎年開講される常設の語学科目として「英語」、「ドイツ語」、「フランス語」、「スペイン語」、「イタリア語」、「中国語」、「朝鮮・韓国語」、「日本手話」を用意しています。特別語学はこれらとは別のもので、2019年度は下記の4つを開講します。

タイ語
アラビア語
ロシア語
トルコ語

 以上、全学教育共通センターが提供する特別授業の紹介でした。各学部の専門科目にも特別授業があります。特別授業は、今、学んでほしい科目ですので、履修の候補として検討してもらえればと思います。


2019年2月26日火曜日

真のダイバーシティ,実現に向けて

 心理学など担当の野田淳子です。平成最後の…といった言葉が飛び交う新しい年を、皆さんはどのように迎えられたでしょうか。慌ただしくなりがちな年明けですが、今年は3日に同僚のお勧めの映画『いろとりどりの家族』を観に行きました。障害をはじめ、“普通”とはちょっと違うと見なされがちな背景を持つ子どもたちとその親たちが登場するドキュメンタリーで、家族の形や関係は実にさまざま。幸せも色とりどりで、一つとて同じものはありません。しかし、そこには共通点があることに気づきました。敢えて言葉にするならば、各人が常識にとらわれること無く「これぞ私の生きる道」と思う世界を実現し、かつ、それが周囲の人々から理解され、祝福されることです。

数年ぶりの映画鑑賞へと背中を押してくれたのが、「ケアする側も幸せでないと、相手に寄り添えない」というゲスト講師の言葉でした。昨年暮れ、認定NPO法人「マギーズ東京」の常勤看護師・岩城典子さんが、特別講義「多様性社会における心理支援を学ぶ b.」にいらしてくださった時のことです。マギーズ東京は3年前の201610月に、“がん”と診断された方々やそのご家族・友人にとっての「第三の居場所」を提供するべく、東京は豊洲の「市場前」にオープンしました。以来、13,000名と来訪者は増え続け、NHKのドキュメンタリー番組でもたびたび取り上げられる注目の相談支援機関です。
マギーズ東京の岩城典子さん

発祥は英国、乳がんの再発後「余命半年」と宣言された造園家のマギー・ジェンクス氏が、主治医に治療法などさまざま聞こうとした時、「他の患者さんが待っていて、時間が無いから」と診察室の外に出され、「胃にパンチを受けたようなショックを受け」泣き崩れた実体験がもととなり。病気であっても1人の人間として、自らの人生についてゆっくり考えられる、小ぢんまりとした家庭的な居場所が必要だと考えたマギー氏は病を押して奮起し、担当看護師だったローラ氏や建築家のご主人と力を合わせて、エジンバラの病院敷地内にマギーズ・キャンサー・ケアリングセンター第一号が完成したのが1996年。マギー氏が他界した、翌年のことでした。

以来、英国ではポール・スミスやザハ・ハディド、黒川紀章など名だたる建築家がその建築設計にボランティアで名乗りを挙げるほど有名ながん相談支援機関の拠点となり、世界にも広がりをみせて22番目に誕生したのが「マギーズ東京」で、訪問看護のエキスパートである秋山正子氏と、20代でがんと闘い日本テレビ記者として復職された鈴木美穂氏が共同で代表を務めています。チャリティ文化の無い日本で、チャリティのみで運営することは並大抵ではなく、2021年度には正式な移転先(土地や建物等)を探さねばならないなど課題も山積です。しかし、病院の敷地「外」にあるマギーズは日本のみ。チャリティグッズの販売、がん患者の食事・運動などケアに関わる様々なプログラムやサポート側を養成する研修会の実施、この3月にはチャリティー・コンサートの開催など新たな可能性にチャレンジし、ボランティアも多数かかわっているのです。

本講義ゲスト講師の、いわば「取り」を務めて下さったマギーズ東京の岩城さん。開口一番「がんが死に至る病なのではなく、告知を受けた後に人々が抱く絶望こそが、何よりも治療しなければならない病だと思った」という学生の感想が心に残ったとご紹介くださり、「この言葉に、マギーズのスタッフ一同、深く頷きました」「皆さんの感想、一枚一枚に対してコメントを返したいくらいです」「NHKのディレクターさんに、皆さんの声をお伝えして良いですか?」とお話が始まりました。前回の授業で、マギーズ東京を取材したNHKハートネットTV『がんとともに歩む力を』を視聴し、グループ・ディスカッションを経て学生たちが書いた小レポートを直前にお送りしたのですが、まさかマギーズ東京の皆さんが目を通して下さるとは!感激した学生も多かったようです。どんな言葉にも、その人の強みを見いだす。マギーズ東京の相談支援の素晴らしさに、改めて感じ入ったしだいです。

今や「がん=死」ではなく、手術や治療を経て、外来に通いながら、サバイバーとして長い人生を全うする時代です。しかし、手術や治療が終わっても、再発リスクなど病の不安や悩みから逃れることはできません。にも関わらず、がん拠点病院の相談支援センターの利用率が7.7%と低水準に留まっているのは、予約が必要で時間が限られており、問題が明確にならないと相談しづらいといった数多くの課題があるからです。これに対して、マギーズ東京は予約不要で時間制限もなく、開いている時間ならばいつでもふらっと立ち寄ることができて、専門看護師や臨床心理士が古くからの友人のように暖かく迎えて、相談に乗ってくれる。素敵なカフェのような心地の良い空間で、ゆっくりとお茶を飲みおしゃべりをしても良し、ひとりでぼーっとして休むもよし。人それぞれ、自由に時間を過ごすことができるのです。

とはいえ、マギーズの相談支援の類稀なるところの第一は、その傾聴的態度です。「単なる傾聴ではない」「あなたのがんの専門家は、あなたですよ」「その人が歩き出せると思う、その力を後ろから押す」など秋山さんがNHK番組で語った言葉や、「励まさない」「先導しない」「沈黙があっても、最低20秒くらいは黙る」「対等な立場で友達のように、普段どおりに接する」といった岩城さんの具体的な事例をふまえたお話から、学生達も曰く「(がんによって)希望を奪われた人が、自分の気持ちを率直に出し、その生き方を自分で選択していけるような」傾聴や場の特性に注目しはじめたようです。これは「傾聴」を軸とするあらゆる心理的な相談支援の通じる、重要な視点です。

この「特別講義」は、大学から「教育改革支援制度(別名:進一層トライアル)」の助成を得て、臨床心理学の大貫敬一先生との「ペア授業」という珍しい授業形式で開講した新しい試みです。多様性(ダイバーシティ)を活かす社会の構築に不可欠な、「あらゆる他者を尊重し、受容する良き関係性を構築する」ための「心理的支援(ケア)」とは何か?を考えることを目的としています。社会の様々な場での支援の実際を、ワークなどの体験学習・現場の取材VTR視聴・ゲスト講師の講演を通して“具体的に”学び、グループ・ディスカッションの内容を発表・シェアし、その後に振り返りの小レポートを書くことを積み重ねてきました。ゲスト講師も、全盲の障害を持ちながら会社で働く社会人の方、児童養護施設の施設長の方、家庭に居場所を求めづらい青少年をサポートするNPOKiitosの代表の方など多岐に渡っています。自分と異なるさまざまな人々が実は関わり合って社会が成り立っていることばかりか、無縁だと思っていた人々の世界観に触れて目が開かれ、そうした人々が発揮し成長するパワーに驚き、触発された学生も少なくないようです。

年明けの授業で、マギーズ東京を取材したもう一つのETVを視聴してディスカッションを行うと、「捉えかたひとつで、人生が変わる」「“寿命がわかったから、今まで後回しにしていたことをやろう”と人生を楽しむなど、がんになったから見える世界もあるのだと感じた」「相手の考えを引き出すという形で話を聞くことは簡単ではないが、自分もそんな聞き方ができるようになりたい」といった声が寄せられました。様々な場で生きる他者の視点に敢えて立つことで、我が身を振り返り、「なりたい自分」の姿を見いだす。それがさらなる学びへ、自ら取り組む大きな原動力となるのではないでしょうか?


2019年2月12日火曜日

多言語化する国分寺の地域社会

Selamat siang!(セゥラマッ シアン!)Сайн байна уу? (サインバインノー?)Xin chào!(シンチャオ!)Salamat sejahtera!(セゥラマッ セジャテラ!)Merhaba!(メルハバ!)
(クイズ:これらは「こんにちは」や「お元気ですか」を意味することばです。何語でしょう?答えはこの記事の最後にあります。)

「言語学」を担当する小田登志子です。訪日外国人観光客や留学生の増加に伴い、国分寺でも外国出身の人を見かけたり、いろいろな外国語を見聞きしたりする機会が増えてきました。例えば、私がよく利用する国分寺駅前のスーパー「マルエツ」にも、さまざまな言語を話すお客さんが来店します。中国語、韓国語、英語、ベトナム語などが聞こえることもありますし、何語を話しているのかわからない時もあります。このように、地域の人口の国際化が進むにつれて「多言語化」が進んでいると感じます。

そこで、今年度の「言語学b」では、国分寺および周辺地域に住む外国出身の方にお越しいただき、自分の母語を紹介してもらう取り組みを行っています。

インドネシア・バンドン出身のディアンさんは小金井市にお住まいです。インドネシア語が流暢な日本人のご主人と結婚し、一年前に来日しました。インドネシア語はマレー語の方言でもあるため、マレーシア語ととてもよく似ています。Saya cinta padamu. (サヤ チンタ パダム、I love you)と言えば、マレーシア語としてもインドネシア語としても通じます。

インドネシア語の語順を説明するディアンさん。インドネシア語は英語と同じSVO言語。

インドネシアの公用語はインドネシア語ですが、インドネシアではインドネシア語以外に数百もの言語が使用されています。ディアンさんのお母さんはスンダ語話者で、お父さんはバタク語話者です。ディアンさん自身はインドネシア語とスンダ語を話します。受講生は、一つの国の中にたくさんの言語があることに驚いた様子でした。ディアンさんは、日本語と英語を交えながら、「日本はきれいですね」など、いろいろな話をしてくれました。ある受講生は、「ディアンさんはいろいろな言語は話せてすごいと思う」とコメントしました。

モンゴル・ウランバートル出身のバダラハゲレルさんは府中市の日本語学校に通っています。半年前に来日しました。モンゴル語は日本語と語順がよく似ています。Дорж  Оюунд  хайртай  гэж  Цэрэн  хэлсэн.(ドルジ(ドルジが) オユントゥ(オユンを) ハイルタイ(愛している)ゲジュ(と)ツェレン(ツェレンが)ヒルスン(言った))は、日本語と語順が同じです。 モンゴル語はキリル文字でもモンゴル文字でも書くことができます。モンゴル文字は文字を縦につなげて書きます。バダラハゲレルさんが書いたモンゴル文字を見て、「まるで美しい絵のよう」とコメントした学生もいました。

モンゴル語とモンゴル文字について説明するバダラハゲレルさん。モンゴル文字の左側は「モンゴル」。右側はバダラハゲレルさんのお母さんの名前。6つの文字をつなげて書く。

「バダラハゲレル」という名前には「輝く光」という意味があります。そこで日本では「光(ひかる)」というニックネームを使っているそうです。子どものころから日本のアニメやマンガを見て育ったバダラハゲレルさんは、「日本は湿気が高くて物価が高いですね」などと、流暢な日本語で来日の感想を話してくれました。

受講生と握手するバダラハゲレルさん

ディアンさんとバダラハゲレルさんに「日本語と英語とどちらが難しいですか?」と質問したところ、お二人とも迷わず「日本語!」と答えました。漢字や「~を」「~に」といった助詞が難しいそうです。

言語はその国の文化を知る「窓」のようなものです。みなさんは、インドネシアでもモンゴルでも、名字を持たない・あるいは持っていても普段は使用しない人がほとんどであることを知っていましたか?このように、外国語に少し触れただけで、自分の文化の中であたり前だと思っている事が、実はそうではないことに気づいたりします。

201871日の市人口統計によると、国分寺市には65か国から来たおよそ2300人の外国人が住んでいます。これは国分寺の人口の約1.8%に相当します(国分寺国際協会提供資料による)。東京都新宿区や埼玉県川口市といった場所と比較すると低い数字ですが、2018年に入ってから国分寺市の外国人人口は著しく増加しており、この地域の多言語化は今後より一層進むと予想されます。異なる言語・文化を持つ人々と共に、多文化共生社会を実現するため、外国にルーツを持つ地域住民が話す言語を「言語学」の授業で積極的に紹介していきたいと考えています。

東京都の訪日外国人観光客や外国人住民が多い地域で見かけた表示。「免税」は上から英語・中国語・朝鮮韓国語。「ごみは捨てないでください」は上から日本語・中国語(普通話)・中国語(台湾)・朝鮮韓国語・タガログ語・タイ語・英語・トルコ語・スペイン語・ポルトガル語。

(クイズの答え:インドネシア語・モンゴル語・ベトナム語・マレーシア語・トルコ語)

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先輩に聞く、語学学習のススメ

2019年2月4日月曜日

2018年度「総合教育研究発表会」レポート

 1月31日(木曜日)に、「総合教育研究」の発表会が行われました。「総合教育研究」は、全学共通教育センターが開講する卒業研究・制作に相当するもので、2年次以降のゼミである「総合教育演習」で学んだ成果を発展させて、論文や制作にまとめあげるものです。2014年度より、全学共通教育センターの公式行事として発表会を開催しています。


 今年度は、発表会の日に都合の合わない学生もいたため発表者は2名と少数で、どちらも制作(写真集・歌集)の発表でした。しかし、発表・質疑応答の予定時間である30分間を超えて、かなり多様な質疑が活発に行われました。発表終了後、発表学生をねぎらい表彰が行われ、コーヒーとお菓子を楽しみながら、議論を続けるなどして個別にさまざまな振り返りがなされました。
表彰の様子
 発表された学生さんはお疲れ様でした。またご聴講いただいた学生さん、先生・職員のみなさんには厚く御礼申し上げます。「自然の構造」他担当の榎が記しました。

・関連記事へのリンク
2017年度「総合教育研究発表会」レポート
2016年度「総合教育研究発表会」レポート
2015年度「総合教育研究発表会」レポート
2014年度「総合教育研究発表会」レポート

2019年1月22日火曜日

【学問のミカタ】 
 目隠しと「ルサンチマン」

 「哲学」という講義等を担当している麻生といいます。先日、授業のなかで『ニーチェの馬』という映画を観ました。その際にふと考えたことを書いてみます。

 ご覧になった方もいると思いますが、『ニーチェの馬』はハンガリーの映画監督タル・ベーラの作品で、日本では2012年に公開された映画です。哲学者のニーチェ(1844‐1900)にまつわるある逸話――イタリアの街トリノの広場で、御者に鞭打たれる馬の姿を目にしたニーチェが、その御者に激昂して、泣きながら馬の首にだきつき、そのまま昏倒したという真偽不明の逸話――が冒頭で紹介されたあと、人里離れた一軒家で、馬に荷馬車を引かせて暮らす初老の男とその娘の、いわば静かな破滅を予感させる6日間の生活が淡々と描きだされる作品です。

 ところで、その映画を見ながら、ふと思ったことがあります。とはいっても、映画の内容にかかわることではありません。映画の冒頭、寒風吹きすさぶ荒野で鞭打たれながら荷馬車を引いて駆け続ける馬の様子が、圧倒的な存在感で映しだされるのですが、そのシーンを見ていて、ああそうか、と今さらながらあることに気づきました。馬の目隠しについてです。

 言われてみれば多くの人が思いだせると思いますが、馬車を引かせる馬など、人間に使われる馬には、しばしば両目の外側に四角い覆いがつけられています。要するに、(馬はたいへん視野が広いのだそうで、そのため、)馬がわき見をせずに、ひたすら前を向いて走るよう、その視野を制限するためにつけられる馬具のことです。

 映画の冒頭シーンを見ながら、そういえば馬車を引く馬にはこの目隠しがついていたよなと、なぜかしみじみ思いだしました。と同時に、ふと思ったのは、でもこれは馬だけのことなのだろうか、ということです。ひょっとしてわれわれ人間にも、自分では気づかぬうちに「目隠し」がつけられていることはないでしょうか。

 馬車を引く馬は、一目散に駆けている最中は、おそらく目隠しをつけられていることをほとんど忘れているのではないかと思われます。われわれも、自分ではいろいろものを見ているつもりになっているだけで(ややもすると自分は視野が広いのだとすっかり己惚れている向きすらあるかもしれません)、じつはいつの間にか目隠しがつけられたり、あるいは自分で目隠しをつけてしまっていることはないでしょうか。追い立てられるように前だけを見て、横や後ろがあることさえ忘れてしまっていることはないでしょうか。(これは空間的なことだけではありません。時間的なことにかんしてもいえるはずです。)しかも始末が悪いことに、いちど目隠しがつけられて、それに慣れてしまうと、もうそのことに気づくことが難しくなってしまうように思われます。

 ところで、冒頭のシーンを見ながら思ったことには、おまけがあります。「ルサンチマン」という概念にかかわることです。

 ルサンチマンというのは、ある時期以降のニーチェの著作でしばしば用いられるキータームのひとつです。ときに「怨恨」と訳されますが、いわば屈折した恨みや憎悪のことです。たとえば、失恋して、ひどく寂しい思いをしているとします。寂しいのであれば、また新たな恋に踏みだせばよいようにも思います。しかしそうはせずに、恋人とうまくやっている友人、リア充の友人に恨みを向け、その人を悪者にして陰口を言ったり仲間はずれにしたりすること、そしてその友人が失恋することを望み、じっさいに失恋しようものなら喝采するような心のありかたや態度、平たくいえば、それがルサンチマンです。ニーチェはこのルサンチマンを、キリスト教をはじめとした西洋文明を批判するうえで鍵となる概念のひとつとしてもちいているのですが、映画を見ながら思ったのはもっとささいなことです。

 馬車を引く馬の多くは目隠しがつけられています。とはいえ、なにかの拍子で目隠しがはずれた馬、前だけにとらわれずに、あちこち見回して、気の向くままに立ち止まったり駆けだしていったりする馬がいたとします。このとき、必死に走らされている――目隠しされていることを忘れた――多くの馬たちはどうするでしょうか。自分の目隠しに気づき、なんとかそれをはずそうともがくでしょうか。それとも、いわばルサンチマンへと向かい、目隠しのはずれた馬を「ふつう」でないおかしな奴だと嘲ったり、陰に陽に攻撃したりすることになるでしょうか。馬の場合はよくわかりません。けれどもわれわれ人間の場合は、残念なことに、ややもするとルサンチマンに陥ることになるような気もします。

 われわれに目隠しがつけられているとすれば、それはともかくもこの社会のなかでそうなっているのであり、そう簡単に目隠しをはずことはできないように思われます。とはいえ、できることもあるのではないでしょうか。たとえば、ひょっとして自分にも目隠しがついているのではないか、少なくともそう疑ってみること、そしてまた、自分もある種のルサンチマンに陥っていることはないだろうか、そのようにわが身をふりかえってみること、そうしたことであれば、なんとか可能であるように思われます。もちろん、それもなかなか難しいことではありますが……。

 『ニーチェの馬』を観ながら、そんなことをあれこれ考えた日でした。〔麻生博之〕

1月の【学問のミカタ】
・経済学部「きのこたけのこ戦争と巨大IT企業の違い
・経営学部「山本聡ゼミ、最優秀賞への道!!:なぜ、山本聡ゼミは学外コンテストに参加し続けたのか?
・コミュニケーション学部「学校スポーツのあり方について考える
・現代法学部「法の学び方-アイラック