2019年2月26日火曜日

真のダイバーシティ,実現に向けて

 心理学など担当の野田淳子です。平成最後の…といった言葉が飛び交う新しい年を、皆さんはどのように迎えられたでしょうか。慌ただしくなりがちな年明けですが、今年は3日に同僚のお勧めの映画『いろとりどりの家族』を観に行きました。障害をはじめ、“普通”とはちょっと違うと見なされがちな背景を持つ子どもたちとその親たちが登場するドキュメンタリーで、家族の形や関係は実にさまざま。幸せも色とりどりで、一つとて同じものはありません。しかし、そこには共通点があることに気づきました。敢えて言葉にするならば、各人が常識にとらわれること無く「これぞ私の生きる道」と思う世界を実現し、かつ、それが周囲の人々から理解され、祝福されることです。

数年ぶりの映画鑑賞へと背中を押してくれたのが、「ケアする側も幸せでないと、相手に寄り添えない」というゲスト講師の言葉でした。昨年暮れ、認定NPO法人「マギーズ東京」の常勤看護師・岩城典子さんが、特別講義「多様性社会における心理支援を学ぶ b.」にいらしてくださった時のことです。マギーズ東京は3年前の201610月に、“がん”と診断された方々やそのご家族・友人にとっての「第三の居場所」を提供するべく、東京は豊洲の「市場前」にオープンしました。以来、13,000名と来訪者は増え続け、NHKのドキュメンタリー番組でもたびたび取り上げられる注目の相談支援機関です。
マギーズ東京の岩城典子さん

発祥は英国、乳がんの再発後「余命半年」と宣言された造園家のマギー・ジェンクス氏が、主治医に治療法などさまざま聞こうとした時、「他の患者さんが待っていて、時間が無いから」と診察室の外に出され、「胃にパンチを受けたようなショックを受け」泣き崩れた実体験がもととなり。病気であっても1人の人間として、自らの人生についてゆっくり考えられる、小ぢんまりとした家庭的な居場所が必要だと考えたマギー氏は病を押して奮起し、担当看護師だったローラ氏や建築家のご主人と力を合わせて、エジンバラの病院敷地内にマギーズ・キャンサー・ケアリングセンター第一号が完成したのが1996年。マギー氏が他界した、翌年のことでした。

以来、英国ではポール・スミスやザハ・ハディド、黒川紀章など名だたる建築家がその建築設計にボランティアで名乗りを挙げるほど有名ながん相談支援機関の拠点となり、世界にも広がりをみせて22番目に誕生したのが「マギーズ東京」で、訪問看護のエキスパートである秋山正子氏と、20代でがんと闘い日本テレビ記者として復職された鈴木美穂氏が共同で代表を務めています。チャリティ文化の無い日本で、チャリティのみで運営することは並大抵ではなく、2021年度には正式な移転先(土地や建物等)を探さねばならないなど課題も山積です。しかし、病院の敷地「外」にあるマギーズは日本のみ。チャリティグッズの販売、がん患者の食事・運動などケアに関わる様々なプログラムやサポート側を養成する研修会の実施、この3月にはチャリティー・コンサートの開催など新たな可能性にチャレンジし、ボランティアも多数かかわっているのです。

本講義ゲスト講師の、いわば「取り」を務めて下さったマギーズ東京の岩城さん。開口一番「がんが死に至る病なのではなく、告知を受けた後に人々が抱く絶望こそが、何よりも治療しなければならない病だと思った」という学生の感想が心に残ったとご紹介くださり、「この言葉に、マギーズのスタッフ一同、深く頷きました」「皆さんの感想、一枚一枚に対してコメントを返したいくらいです」「NHKのディレクターさんに、皆さんの声をお伝えして良いですか?」とお話が始まりました。前回の授業で、マギーズ東京を取材したNHKハートネットTV『がんとともに歩む力を』を視聴し、グループ・ディスカッションを経て学生たちが書いた小レポートを直前にお送りしたのですが、まさかマギーズ東京の皆さんが目を通して下さるとは!感激した学生も多かったようです。どんな言葉にも、その人の強みを見いだす。マギーズ東京の相談支援の素晴らしさに、改めて感じ入ったしだいです。

今や「がん=死」ではなく、手術や治療を経て、外来に通いながら、サバイバーとして長い人生を全うする時代です。しかし、手術や治療が終わっても、再発リスクなど病の不安や悩みから逃れることはできません。にも関わらず、がん拠点病院の相談支援センターの利用率が7.7%と低水準に留まっているのは、予約が必要で時間が限られており、問題が明確にならないと相談しづらいといった数多くの課題があるからです。これに対して、マギーズ東京は予約不要で時間制限もなく、開いている時間ならばいつでもふらっと立ち寄ることができて、専門看護師や臨床心理士が古くからの友人のように暖かく迎えて、相談に乗ってくれる。素敵なカフェのような心地の良い空間で、ゆっくりとお茶を飲みおしゃべりをしても良し、ひとりでぼーっとして休むもよし。人それぞれ、自由に時間を過ごすことができるのです。

とはいえ、マギーズの相談支援の類稀なるところの第一は、その傾聴的態度です。「単なる傾聴ではない」「あなたのがんの専門家は、あなたですよ」「その人が歩き出せると思う、その力を後ろから押す」など秋山さんがNHK番組で語った言葉や、「励まさない」「先導しない」「沈黙があっても、最低20秒くらいは黙る」「対等な立場で友達のように、普段どおりに接する」といった岩城さんの具体的な事例をふまえたお話から、学生達も曰く「(がんによって)希望を奪われた人が、自分の気持ちを率直に出し、その生き方を自分で選択していけるような」傾聴や場の特性に注目しはじめたようです。これは「傾聴」を軸とするあらゆる心理的な相談支援の通じる、重要な視点です。

この「特別講義」は、大学から「教育改革支援制度(別名:進一層トライアル)」の助成を得て、臨床心理学の大貫敬一先生との「ペア授業」という珍しい授業形式で開講した新しい試みです。多様性(ダイバーシティ)を活かす社会の構築に不可欠な、「あらゆる他者を尊重し、受容する良き関係性を構築する」ための「心理的支援(ケア)」とは何か?を考えることを目的としています。社会の様々な場での支援の実際を、ワークなどの体験学習・現場の取材VTR視聴・ゲスト講師の講演を通して“具体的に”学び、グループ・ディスカッションの内容を発表・シェアし、その後に振り返りの小レポートを書くことを積み重ねてきました。ゲスト講師も、全盲の障害を持ちながら会社で働く社会人の方、児童養護施設の施設長の方、家庭に居場所を求めづらい青少年をサポートするNPOKiitosの代表の方など多岐に渡っています。自分と異なるさまざまな人々が実は関わり合って社会が成り立っていることばかりか、無縁だと思っていた人々の世界観に触れて目が開かれ、そうした人々が発揮し成長するパワーに驚き、触発された学生も少なくないようです。

年明けの授業で、マギーズ東京を取材したもう一つのETVを視聴してディスカッションを行うと、「捉えかたひとつで、人生が変わる」「“寿命がわかったから、今まで後回しにしていたことをやろう”と人生を楽しむなど、がんになったから見える世界もあるのだと感じた」「相手の考えを引き出すという形で話を聞くことは簡単ではないが、自分もそんな聞き方ができるようになりたい」といった声が寄せられました。様々な場で生きる他者の視点に敢えて立つことで、我が身を振り返り、「なりたい自分」の姿を見いだす。それがさらなる学びへ、自ら取り組む大きな原動力となるのではないでしょうか?


2019年2月12日火曜日

多言語化する国分寺の地域社会

Selamat siang!(セゥラマッ シアン!)Сайн байна уу? (サインバインノー?)Xin chào!(シンチャオ!)Salamat sejahtera!(セゥラマッ セジャテラ!)Merhaba!(メルハバ!)
(クイズ:これらは「こんにちは」や「お元気ですか」を意味することばです。何語でしょう?答えはこの記事の最後にあります。)

「言語学」を担当する小田登志子です。訪日外国人観光客や留学生の増加に伴い、国分寺でも外国出身の人を見かけたり、いろいろな外国語を見聞きしたりする機会が増えてきました。例えば、私がよく利用する国分寺駅前のスーパー「マルエツ」にも、さまざまな言語を話すお客さんが来店します。中国語、韓国語、英語、ベトナム語などが聞こえることもありますし、何語を話しているのかわからない時もあります。このように、地域の人口の国際化が進むにつれて「多言語化」が進んでいると感じます。

そこで、今年度の「言語学b」では、国分寺および周辺地域に住む外国出身の方にお越しいただき、自分の母語を紹介してもらう取り組みを行っています。

インドネシア・バンドン出身のディアンさんは小金井市にお住まいです。インドネシア語が流暢な日本人のご主人と結婚し、一年前に来日しました。インドネシア語はマレー語の方言でもあるため、マレーシア語ととてもよく似ています。Saya cinta padamu. (サヤ チンタ パダム、I love you)と言えば、マレーシア語としてもインドネシア語としても通じます。

インドネシア語の語順を説明するディアンさん。インドネシア語は英語と同じSVO言語。

インドネシアの公用語はインドネシア語ですが、インドネシアではインドネシア語以外に数百もの言語が使用されています。ディアンさんのお母さんはスンダ語話者で、お父さんはバタク語話者です。ディアンさん自身はインドネシア語とスンダ語を話します。受講生は、一つの国の中にたくさんの言語があることに驚いた様子でした。ディアンさんは、日本語と英語を交えながら、「日本はきれいですね」など、いろいろな話をしてくれました。ある受講生は、「ディアンさんはいろいろな言語は話せてすごいと思う」とコメントしました。

モンゴル・ウランバートル出身のバダラハゲレルさんは府中市の日本語学校に通っています。半年前に来日しました。モンゴル語は日本語と語順がよく似ています。Дорж  Оюунд  хайртай  гэж  Цэрэн  хэлсэн.(ドルジ(ドルジが) オユントゥ(オユンを) ハイルタイ(愛している)ゲジュ(と)ツェレン(ツェレンが)ヒルスン(言った))は、日本語と語順が同じです。 モンゴル語はキリル文字でもモンゴル文字でも書くことができます。モンゴル文字は文字を縦につなげて書きます。バダラハゲレルさんが書いたモンゴル文字を見て、「まるで美しい絵のよう」とコメントした学生もいました。

モンゴル語とモンゴル文字について説明するバダラハゲレルさん。モンゴル文字の左側は「モンゴル」。右側はバダラハゲレルさんのお母さんの名前。6つの文字をつなげて書く。

「バダラハゲレル」という名前には「輝く光」という意味があります。そこで日本では「光(ひかる)」というニックネームを使っているそうです。子どものころから日本のアニメやマンガを見て育ったバダラハゲレルさんは、「日本は湿気が高くて物価が高いですね」などと、流暢な日本語で来日の感想を話してくれました。

受講生と握手するバダラハゲレルさん

ディアンさんとバダラハゲレルさんに「日本語と英語とどちらが難しいですか?」と質問したところ、お二人とも迷わず「日本語!」と答えました。漢字や「~を」「~に」といった助詞が難しいそうです。

言語はその国の文化を知る「窓」のようなものです。みなさんは、インドネシアでもモンゴルでも、名字を持たない・あるいは持っていても普段は使用しない人がほとんどであることを知っていましたか?このように、外国語に少し触れただけで、自分の文化の中であたり前だと思っている事が、実はそうではないことに気づいたりします。

201871日の市人口統計によると、国分寺市には65か国から来たおよそ2300人の外国人が住んでいます。これは国分寺の人口の約1.8%に相当します(国分寺国際協会提供資料による)。東京都新宿区や埼玉県川口市といった場所と比較すると低い数字ですが、2018年に入ってから国分寺市の外国人人口は著しく増加しており、この地域の多言語化は今後より一層進むと予想されます。異なる言語・文化を持つ人々と共に、多文化共生社会を実現するため、外国にルーツを持つ地域住民が話す言語を「言語学」の授業で積極的に紹介していきたいと考えています。

東京都の訪日外国人観光客や外国人住民が多い地域で見かけた表示。「免税」は上から英語・中国語・朝鮮韓国語。「ごみは捨てないでください」は上から日本語・中国語(普通話)・中国語(台湾)・朝鮮韓国語・タガログ語・タイ語・英語・トルコ語・スペイン語・ポルトガル語。

(クイズの答え:インドネシア語・モンゴル語・ベトナム語・マレーシア語・トルコ語)

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2019年2月4日月曜日

2018年度「総合教育研究発表会」レポート

 1月31日(木曜日)に、「総合教育研究」の発表会が行われました。「総合教育研究」は、全学共通教育センターが開講する卒業研究・制作に相当するもので、2年次以降のゼミである「総合教育演習」で学んだ成果を発展させて、論文や制作にまとめあげるものです。2014年度より、全学共通教育センターの公式行事として発表会を開催しています。


 今年度は、発表会の日に都合の合わない学生もいたため発表者は2名と少数で、どちらも制作(写真集・歌集)の発表でした。しかし、発表・質疑応答の予定時間である30分間を超えて、かなり多様な質疑が活発に行われました。発表終了後、発表学生をねぎらい表彰が行われ、コーヒーとお菓子を楽しみながら、議論を続けるなどして個別にさまざまな振り返りがなされました。
表彰の様子
 発表された学生さんはお疲れ様でした。またご聴講いただいた学生さん、先生・職員のみなさんには厚く御礼申し上げます。「自然の構造」他担当の榎が記しました。

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