2014年4月4日金曜日

2013年度卒論執筆者の声(その1)

東経大の教養系ゼミでは、「総合教育研究」という科目で卒業論文を書くことができます。卒論が必修でない本学で、卒論を書くことにどういう意義があるのか、疑問に思う人もいるかもしれません。そこで、2013年度に「総合教育研究」で論文作成に取り組んだ方に感想を寄せてもらいました。これから二回にわたって本blogでご紹介したいと思います。
第一回は、経済学部経済学科の丸山栞さんの感想です(指導教員:相澤伸依准教授)。
(丸山さんは、卒論提出後、卒論発表会にも参加してくださいました。こちらの記事もぜひご覧ください。)
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 就職活動の面接では、「大学ではどんなことを勉強していますか?」としばしば尋ねられます。なぜこんな質問をするのかと言うと、会社の人事の人は、この学生がどんなことに関心があって、興味のあることにどういう姿勢で取り組んでいるのかを知りたいからです。しかし、周りの友人と話をすると、この質問にうまく答えられないという話を聞きます。「ゼミでは参考書を輪読しているだけだし、何を勉強してるのかって言われても……」と言うのです。

 「アルバイトで活躍した話」「サークルで幹事として頑張った話」はすらすら出てきても、大学で何を学んできたのかを話せないなんて、かっこ悪くありませんか。私は、大学生だからこそ、一番勉強しなくてはいけないと思っています。高校生までの、先生の話を一方的に聴いて覚えるだけの授業ではなく、大学は自分の学びたいことを見つけ、自ら勉強していく場が用意されています。

 私は、2年生から経済学のゼミと、総合教育のゼミ(倫理学)という、2つのゼミに所属して4年生まで継続しました。卒論を書くきっかけは、4年生になる前に、倫理学の先生から「卒論を書いてみない?」と声を掛けて頂いたことでした。「単位も足りているし、2万字も書くのか……。就活もバイトもあるしなぁ」と最初はあまり乗り気ではありませんでした。けれども、「もう今後一生こんな分量の文章書くことも無いから」という先生の一言で、「あぁ、確かに、もう2万字の文章なんて一生書かないだろうな」と思い、卒論を書くことを決めました。

 もともと本を読むことも、文章を書くことも好きだし、卒論もそこまで苦労しないだろうと思っていました。けれども、卒論を書いてみて、私の文章はへたくそだし、今まで狭いジャンルでしか読書をしていなかったんだなと思い知らされることになりました。テーマ設定にも時間がかかり、何を書いたらいいのか分からなくなってしまうこともありました。今まで読んだことのなかった難しい本を読んで、なんとなく分かった気になって書いても、自分でよく分からない文章は、読む相手にとっても伝わらない。指導してくださる先生にその点を指摘されて、また書き直し……。卒論はそんな作業の繰り返しでした。卒論の執筆の過程で、自分の嫌な事にたくさん気付くことができました。(例えば、私って本当に頑固なんだな、文章が雑なところがあるな、などです)。まさに、卒論は自分自身との対話だと感じました。

 正直に言うと、卒論の執筆は思っていた以上に大変でした。それでも、東経大の後輩には卒論をぜひ書いて欲しいと思っています。今の私なら、「大学ではどんなことを勉強していますか?」と聞かれても、胸を張って「私は○○を勉強しました!」としっかりと答えることができます。精一杯勉強してやったぞという気持ちが、大きな自信になったのです。苦労するからこそ、それを乗り越えた時に、成長の糧となると思います。また、卒論は一人で書くわけではなく、指導して下さる先生、ゼミの仲間、同様に卒論を書いている友人など、多くの人に意見をもらいつつ進めていくものです。たくさんの人を巻き込みつつ、自分の「これが知りたいんだ!」という好奇心を満たす喜びを感じてください。
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いかがでしょう? 卒論の執筆は大変だけれど、大学での勉強の集大成であり、成長の糧であるという丸山さんの声。経験した方の文章だからこそ、実感が伝わってきますね。卒論執筆に興味のある方、ぜひ丸山さんのように「好奇心を満たす喜び」を感じてください。