第一研究センター前の美しいイチョウ並木 2016年11月14日に撮影 |
今回のテーマは「言葉」ですから、藤くんと仙石さんがどのように話すのかを見てみましょう。ひとりの女子中学生を取り囲み、複数の男子高校生が彼女を困らせていました。そこに藤くんと仙石さんがやってきて、彼女を助けてあげたあとの発言です。
仙石「〔中学生に〕うちの学生が迷惑を掛けた」
藤 「〔中学生に〕一応 職員室なら正面の階段上がったところよ」
仙石「藤君も怪我無いな? 家庭科部が何故ここに」
藤 「スポンジ焼けるまで休憩してたの」
(『水玉ハニーボーイ』2巻5話)
藤くんの語尾は「~よ」、「~の」であり、「おネエキャラ」にふさわしいものとなっています。仙石さんの断言口調もまた、「侍キャラ」を表現するものになっています。
藤くんは仙石さんのことが好きで、告白もするのですが、仙石さんは、今は恋愛にうつつをぬかす時ではなく、修行の時であるとして、交際を断ります。が、なにかと二人は行動を共にし、距離が縮まりそうになったり、かと思いきや邪魔者が入ったり……と、読者をヤキモキさせながら、時にギャグも交えつつ、ストーリーは進みます。
一読しての感想は、「なんだか、さわやかな作品!」というものでした。たしかに、藤くんがあくまで「異性愛者」であることが強調されている点や、悪事を働く男性を追っぱらうために藤くんが採用する手法が「あたかも『同性愛者』であるかのように迫り、怖がらせる」である点については、「うーん」と思ってしまいました(前者は異性愛至上主義=ヘテロセクシズムを、後者は同性愛嫌悪=ホモフォビアを再生産する表現に私には見えました。もちろん、作者にその意図がないことは承知です)。
が、日本語学者のクレア・マリィ氏が『「おネエことば」論』(青土社)で分析していた2008年放送のバラエティ番組にくらべれば、このマンガにおける「おネエ」の表象のされかたは、ずっと「さわやか」だと思ったのです。
その番組は、メイクアップアーティストの「おネエキャラタレント」が、メイクや服装がイケていない芸能人を改造する内容でした。
マリィ氏が分析したこの番組の特徴のひとつとして、「おネエキャラタレント」が脇役におさまっている、というものがあります(70頁。以下頁数だけが示されているものは『「おネエことば」論』のもの)。
氏は、「オネエキャラことば」を「役割語」として位置づけています。役割語とは、「ある特定の言葉遣い(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別職業、階層、年代、容姿・風貌、性格など)を思い浮かべることができるとき、あるいは特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうなことば遣いを思い浮かべるとことができるとき、そのことば遣い」のこと。文学作品では、主人公は標準語を使い、脇役は役割語を使います。役割語を語らせることで、脇役がどのような性格の人間であるかを表現します(金水敏『ヴァーチャル日本語――役割語の謎』岩波書店)。
その図式でいけば、上記のバラエティ番組では、「普通の人代表」の男性MCが主役であり、「おネエ言葉をあやつる」おネエタレントたちが脇役となります(69-70頁)。脇役であるということは、つまり、周辺化されているということです。決して、中心=「普通」ではないポジションに位置づけられています。
が、『水玉ハニーボーイ』は違います。役割語としてのおネエことばを駆使しながらも、藤くんはまごうかたなき主役。侍チックな役割語を語る仙石さんも、もう一人の主役です。
なおかつ、ふたりは周囲から肯定され、信頼されています。藤くんは「藤って女子より女子力高いよな」、「ああ 藤が女だったら 俺 惚れてた」と男子から肯定的に語られ、お菓子作りが上手くなりたい女子から教えを請われています。仙石さんも、重い荷物を持っている人をさりげなく助けたり、痴漢をつかまえたりして、周囲からの厚い信頼を得ています(1巻0話)。
役割語を話しながらも、脇役として周辺化されているのではなく、主役としてコミュニティの中心にいる。その表象のされ方が、上記のバラエティ番組とは異なり、「さわやか」な読後感を誘うのです。
版元のサイトには、新刊発売を祝うための特設ページもできて、たいへん人気の作品のようです。『水玉ハニーボーイ』の今後の展開が楽しみです。
【学問のミカタ】11月のテーマ「言葉」
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