2016年3月11日金曜日

【学問のミカタ】 卒業

 「教職論」、「教育方法」ほか担当の高井良健一(たかいらけんいち)です。3月といえば、卒業の季節ですね。「卒業」といえば、テーマ曲であるサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の響きが記憶に残る映画を思い出します。ダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミンが、別の男性と今まさに結婚の誓いをしようとしている愛するエレーンに、「ちょっと待った!」の蛮勇をふるい、二人で教会を飛び出したあのシーンは、実に印象的です。あのあと、二人の若者がどのような未来を築いていったのかは、とても気になるところです。ただ、「卒業」は、1967年の作品ですから、若かった二人も、今はもう70歳を過ぎているわけですね。

 ところで、映画の「卒業」まではいかないとしても、卒業というイベントが誰もが多かれ少なかれ何かの決断を迫られるイニシエーション(通過儀礼)であるというのは、今も昔も変わらないといえるでしょう。しかしながら、今は通過儀礼のありかたが以前よりもずっと多様になっています。1970年代には「22歳の別れ」や「いちご白書をもう一度」といったフォークソングが流行りました。これらのフォークソングの歌詞には、結婚や就職が青春との訣別を伴うものであった時代の様相が映し出されています。これに対して、21世紀の先進国では、大人になるのはより緩やかなプロセスとなっており、多くの若者が一人前として落ち着くのは30歳前後になっているようです。日本も例外ではありませんが、時代の変化に社会システムが追いついておらず、20代の若者の居場所とケアが課題となっています。私の研究室にも時折、卒業生がふらっと訪れますが、卒業したあとも、安心して立ち寄れる場所は、誰にとっても必要な場所なのかもしれません。

 最近、11年間、教員採用試験を受験し、ことごとく不採用となった卒業生が、12回目の挑戦でついに合格したという嬉しいニュースを手土産に訪ねてきました。彼は、大学を卒業してから専任の仕事に就くまで、人一倍長い道のりを歩んだわけですが、この長かった「卒業」のプロセスが、このあとの人生の力強い根っこになるように思います。この国分寺のキャンパスが、一人ひとりの学生が自分らしい「卒業」の物語を紡ぎ出せるような場所であれたら、嬉しいなと思っています。