2015年4月30日木曜日

【学問のミカタ】 「多数決と科学の世界」 

 「自然の構造」担当で、自然科学の一分野である天文学が専門の榎です。全学部で統一されたテーマでブログを発信する「学問のミカタ」シリーズが始まっていますが、センター日記でも各教員の専門を活かして記事を提供していこうと思います。 

 「学問のミカタ」の4月のテーマは「選挙」です。現代の日本では、選挙で議員が選ばれます。つまり、多数の票を得た候補者が議員として選ばれます。さらに、議会では、議員の多数決によって色々なことが決められていきます。つまり、政治の世界では、多数派の意見が通ることになります(選挙で選ばれた議員の意見が国民の多数派の意見と本当に同じかどうか、という問題がありますが、ここでは置いておきます)。では、科学の世界ではどうでしょうか?科学者は科学上の真理を探るべく研究をしているのですが、科学上の真理は多数派の科学者の意見で決められるのでしょうか?

 ところで、「学問のミカタ」ということですが、そもそも「学問」とは何でしょうか?科学史と科学教育の研究者である板倉聖宣さんの著書「迷信と科学(科学新入門 下)」(仮説社)によると以下の通りです。「学問」とは、文字通り、「学び問う」ものであるとのことです。「学ぶ」というのは「まねる」からきた言葉で、先生や先人をまねることが学ぶということです。そして、学んで考えたことが正しいかどうか確かめるために、「問う」のです。では、誰に「問う」のでしょうか?古くからの伝統のある学問(日本の場合、江戸時代以前からあったような学問)の多くでは、先生や先人に「問う」のでした。つまり、権威のある偉い人が、正しいかどうか決めるのでした。では、科学はどうでしょうか?こちらは、「問題となっている対象」に正しいかどうか問うのです。自然科学ですと、自然に問うのです。考えたこと(仮説)が正しいかどうかを、自然を対象とした実験や観察で確かめるのです。 

 つまり、科学上の真理は、実験や観察で決まり、多数決では決まらないということになります。科学の世界では、少数派の意見でも、実験や観察で正しいと確かめられると、真理となり、やがて多数派の意見となっていきます。つまり、少数派の意見を通すこともできるのです。逆に、多数派や権威のある偉い人の意見で真理とされていたことでも、実験や観察で否定される、ということも起こります。ただ、「実験や観察で正しいと確かめられるとはどういうことか」、という重要な問題がありますが、ここでは置いておきます。

 さて、初めに書いた通り、政治の世界では選挙に勝った多数派の意見が通ることになります。では、少数派が意見を通すにはどうしたらよいのでしょうか。科学の世界を参考にして、考えてみませんか。