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2019年3月25日月曜日

【学問のミカタ】論文執筆と翻訳と

 「世界政治論」他を担当している早尾貴紀です。

 ここ3年連続で研究書の翻訳を出しました(研究仲間らとの共訳で)。いちばん最近のだと、この2月に出したエラ・ショハット&ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化』(法政大学出版局)というものですが、ともあれこれでここ数年取り組んできた大きな翻訳仕事3冊が一段落してホッとしたところです。難解なうえに分量も多く、さらに翻訳には「版権」という刊行期限があるので、スケジュールが切羽詰まってとてもたいへんでした。ですので、正直なところもうしばらくは翻訳の仕事はしたくないなぁ、と思っています。

 ところで、研究者にとって「翻訳」とは何でしょうか。それは一言で言えば、世界的な視点で見てきわめて重要な研究を日本語圏に正確に紹介導入することで、自分の研究をより深めると同時に、関連する研究分野のコミュニティや日本語圏で暮らす市民社会でそうした高い研究水準の書物の議論を共有することです。

 さて、研究活動と翻訳に関して、私の個人的なバランスとサイクルのことを書いておきます。翻訳に没頭していると、翻訳をするのに引用文献にも当たったり、適切な訳語を探すために関連分野の勉強をしたりなどして、ものすごく勉強が進みます。そうして数年集中していると、次第に自分自身で研究論文を書きたいという欲求が高まってきます。実際、翻訳に邁進する時期が一段落すると、論文を積極的に書く時期に切り替わっていきます。

 ところがです。論文を書いて、また次の論文を書いて、と続けていくと、次第に自分が空っぽになっていく気がするのです。そしてさらに、自分が書いている論文がスカスカなものに感じられるようになり、そんな論文を書くぐらいなら、むしろ世界レベルの研究書の翻訳紹介をしていたほうが世のため人のためになるのではないか、という気分になってきます。そうしてまた翻訳作業をする時期に切り替わっていきます。

 私の場合は、数年サイクルでそういう気持ちの切り替わりが起きているようです。あくまで私の場合はですが。ということで、今年から数年は書く時期です!

3月の【学問のミカタ】
・経済学部「東京一極集中とは
・経営学部「ピークですね (T_T)
・コミュニケーション学部「『コミュニケーション学』の海へ漕ぎだすために
・現代法学部「旅先で見つける海外法律事情
・キャリアデザインプログラム「ジョブシャドウイングは『観察学習』のキャリア教育プログラム

2019年1月22日火曜日

【学問のミカタ】 
 目隠しと「ルサンチマン」

 「哲学」という講義等を担当している麻生といいます。先日、授業のなかで『ニーチェの馬』という映画を観ました。その際にふと考えたことを書いてみます。

 ご覧になった方もいると思いますが、『ニーチェの馬』はハンガリーの映画監督タル・ベーラの作品で、日本では2012年に公開された映画です。哲学者のニーチェ(1844‐1900)にまつわるある逸話――イタリアの街トリノの広場で、御者に鞭打たれる馬の姿を目にしたニーチェが、その御者に激昂して、泣きながら馬の首にだきつき、そのまま昏倒したという真偽不明の逸話――が冒頭で紹介されたあと、人里離れた一軒家で、馬に荷馬車を引かせて暮らす初老の男とその娘の、いわば静かな破滅を予感させる6日間の生活が淡々と描きだされる作品です。

 ところで、その映画を見ながら、ふと思ったことがあります。とはいっても、映画の内容にかかわることではありません。映画の冒頭、寒風吹きすさぶ荒野で鞭打たれながら荷馬車を引いて駆け続ける馬の様子が、圧倒的な存在感で映しだされるのですが、そのシーンを見ていて、ああそうか、と今さらながらあることに気づきました。馬の目隠しについてです。

 言われてみれば多くの人が思いだせると思いますが、馬車を引かせる馬など、人間に使われる馬には、しばしば両目の外側に四角い覆いがつけられています。要するに、(馬はたいへん視野が広いのだそうで、そのため、)馬がわき見をせずに、ひたすら前を向いて走るよう、その視野を制限するためにつけられる馬具のことです。

 映画の冒頭シーンを見ながら、そういえば馬車を引く馬にはこの目隠しがついていたよなと、なぜかしみじみ思いだしました。と同時に、ふと思ったのは、でもこれは馬だけのことなのだろうか、ということです。ひょっとしてわれわれ人間にも、自分では気づかぬうちに「目隠し」がつけられていることはないでしょうか。

 馬車を引く馬は、一目散に駆けている最中は、おそらく目隠しをつけられていることをほとんど忘れているのではないかと思われます。われわれも、自分ではいろいろものを見ているつもりになっているだけで(ややもすると自分は視野が広いのだとすっかり己惚れている向きすらあるかもしれません)、じつはいつの間にか目隠しがつけられたり、あるいは自分で目隠しをつけてしまっていることはないでしょうか。追い立てられるように前だけを見て、横や後ろがあることさえ忘れてしまっていることはないでしょうか。(これは空間的なことだけではありません。時間的なことにかんしてもいえるはずです。)しかも始末が悪いことに、いちど目隠しがつけられて、それに慣れてしまうと、もうそのことに気づくことが難しくなってしまうように思われます。

 ところで、冒頭のシーンを見ながら思ったことには、おまけがあります。「ルサンチマン」という概念にかかわることです。

 ルサンチマンというのは、ある時期以降のニーチェの著作でしばしば用いられるキータームのひとつです。ときに「怨恨」と訳されますが、いわば屈折した恨みや憎悪のことです。たとえば、失恋して、ひどく寂しい思いをしているとします。寂しいのであれば、また新たな恋に踏みだせばよいようにも思います。しかしそうはせずに、恋人とうまくやっている友人、リア充の友人に恨みを向け、その人を悪者にして陰口を言ったり仲間はずれにしたりすること、そしてその友人が失恋することを望み、じっさいに失恋しようものなら喝采するような心のありかたや態度、平たくいえば、それがルサンチマンです。ニーチェはこのルサンチマンを、キリスト教をはじめとした西洋文明を批判するうえで鍵となる概念のひとつとしてもちいているのですが、映画を見ながら思ったのはもっとささいなことです。

 馬車を引く馬の多くは目隠しがつけられています。とはいえ、なにかの拍子で目隠しがはずれた馬、前だけにとらわれずに、あちこち見回して、気の向くままに立ち止まったり駆けだしていったりする馬がいたとします。このとき、必死に走らされている――目隠しされていることを忘れた――多くの馬たちはどうするでしょうか。自分の目隠しに気づき、なんとかそれをはずそうともがくでしょうか。それとも、いわばルサンチマンへと向かい、目隠しのはずれた馬を「ふつう」でないおかしな奴だと嘲ったり、陰に陽に攻撃したりすることになるでしょうか。馬の場合はよくわかりません。けれどもわれわれ人間の場合は、残念なことに、ややもするとルサンチマンに陥ることになるような気もします。

 われわれに目隠しがつけられているとすれば、それはともかくもこの社会のなかでそうなっているのであり、そう簡単に目隠しをはずことはできないように思われます。とはいえ、できることもあるのではないでしょうか。たとえば、ひょっとして自分にも目隠しがついているのではないか、少なくともそう疑ってみること、そしてまた、自分もある種のルサンチマンに陥っていることはないだろうか、そのようにわが身をふりかえってみること、そうしたことであれば、なんとか可能であるように思われます。もちろん、それもなかなか難しいことではありますが……。

 『ニーチェの馬』を観ながら、そんなことをあれこれ考えた日でした。〔麻生博之〕

1月の【学問のミカタ】
・経済学部「きのこたけのこ戦争と巨大IT企業の違い
・経営学部「山本聡ゼミ、最優秀賞への道!!:なぜ、山本聡ゼミは学外コンテストに参加し続けたのか?
・コミュニケーション学部「学校スポーツのあり方について考える
・現代法学部「法の学び方-アイラック

2018年11月21日水曜日

【学問のミカタ】データの有効活用 ~天文データアーカイブを使った研究・教育~

 自然の構造ほか担当で、天文学・宇宙物理学が専門の榎です。今回の【学問のミカタ】では、天文データアーカイブを使った研究・教育について紹介します。

 天文データアーカイブとは、ある観測時刻における天域の唯一の記録である天文観測データを保管し公開するものです。なぜ、保管し、公開するのでしょうか?その理由は、観測データは非常に多くの情報を持っているので、観測者の目的とは別の視点に立った新たな研究に有効活用できるからです。研究者が天体観測を行いたい時、まず、各国の研究機関が持つ天文台に、観測の目的・方法を説明した提案書を提出します。提案された観測の科学的意義や実現可能性などが審査され、それが認められれば、その天文台の望遠鏡を使って観測できます。観測者が取得したデータは、当初は観測者が占有して研究に使えますが、一定期間(1~2年)が過ぎると、公開されます。公開される理由の一つは、他の研究者による研究成果の検証を可能にするためです。もう一つは、上述した、観測者の目的とは別の目的の新たな研究に有効活用するためです。例えば、観測で得られた画像には、目的天体とは別の天体も映っていることがあるので、その画像は別の天体の研究にも利用できます。また、ある条件で選択した観測データをサンプルとして多く集めることで、統計的な研究に使うこともできます。特に、大型望遠鏡は、数も少なく、使える時間にも限りがあるので、他人が観測したデータも活用した方が効率的に研究をすすめることができます。

SMOKAのデータ検索画面
 天文データアーカイブに保管された観測データを有効活用するためには、目的のデータを効率よく検索し、取得できるシステムを構築すること、および、そのデータを解析するのに必要な情報を提供することが必要です。世界各国の天文台が、このようなシステムを開発し運用しています。日本では、国立天文台の天文データセンターが、世界第一線級の大型望遠鏡である「すばる望遠鏡」をはじめとするいくつかの望遠鏡の観測データを公開する「SMOKA」を開発・運用しています。JAXAの宇宙科学研究所では、人工衛星などにより得られた観測データを公開する「DARTS」を開発・運用しています。

 さて、通常、天文データアーカイブで提供されているのは、天体の観測「データ」であって、天体のきれいな「絵」ではありません。データの形式もFITSという天文データ専用の特殊なもので、一般の画像で使われるJPEGなどの形式とは異なります。しかし、SMOKAには「全天モニタ画像公開システム」というシステムがあり、JPEGの全天画像を提供しています。これは、SMOKAに保管されている画像のうち、デジタル一眼レフカメラを用いた岡山天体物理観測所東広島天文台東京工業大学MITSuME望遠鏡(明野)の全天モニタ画像を対象とした、画像検索および請求システムです。各観測所に設置されている全天モニタは、本来は、観測中に天候状況などをチェックするために、全天を1~2分間隔で撮影した画像をリアルタイムで提供するものです。この全天モニタの画像は、望遠鏡で取得されたものではありませんが、一般に使いやすい画像形式であるので、研究者以外の人も様々な目的に有効活用できます。全天を撮影しているため、天の川全体も一枚の画像で見ることもできます。撮影した時刻の順番で並べると、天体の見かけの動きが分かり、動画にすることもできます。実際に学校の授業などで天体を数か月~数年単位で長期間観測し続けることはなかなかできませんが、このシステムを使えば、そのような長期間の天体の動きも見ることができます。

 今年度の私のゼミ(総合教育演習の「天文ゼミ」)の学生さんたちは、後期に、このSMOKAの全天モニタ画像公開システムから取得した画像を活用して、様々な天体の動きを調べています。システムに保管されている膨大な画像の中から目的の天体が写っている画像を見つけるためには、どのような条件で検索をすればよいかを考え、工夫する必要があります。これは、なかなか大変ですが、勉強になります。この成果は、12月8日(土)午後に開催されるゼミ報告会で発表される予定です。

11月の【学問のミカタ】
・経済学部「『科学的に証明された』健康に良い食品
・経営学部「あなたは予防にお金をかけますか?
・コミュニケーション学部「カニバリズムについて
・現代法学部「ギリシャ・ローマ古典文学における戦争と平和
・キャリアデザインプログラム「」

2018年9月13日木曜日

【学問のミカタ】教員の「夏休み」

 フランス語と倫理学担当の相澤伸依です。大学の先生は夏休みをどう過ごしているのでしょう?決して遊んでいるわけではなく、基本的には研究を進め、時には世界各地で行われる学会で研究発表をします。今回は、私がこの夏に参加した学会の様子をご紹介したいと思います。

 8/9〜12にカナダのバンクーバーで国際女性史学会が開催されました。私はここで共同研究者たちと1970年代の日本の女性運動に関するパネルを企画し、発表しました。

  
私の専門は現代フランス思想ですが、最近は日本とフランスにおける女性運動の比較研究も行っています。特に、日本のバースコントロール(産む子どもの数を調整すること、具体的には避妊や人工妊娠中絶を指す)をめぐる実践は独特です。私が注目しているのは、日本の女性たちが経口避妊薬(ピル)の使用を肯定的に受け止めなかったという事実です。そこで、発表ではこのような態度がどのような思想に基づくのかを分析しました。

 私たちのパネルはフランス語で行ったためか、聴講者が少なかったのは残念でしたが、聴いてくださった方々からは有意義な質問をいただけました。学会の一番の山場は発表それ自体以上に質疑応答にあります。やりとりを通して、発表する側も聴く側もテーマへの考察を深め、次の研究へと繋げるのです。
海辺ののんびり感と都会が
隣り合わせの街並み。

 さて、無事に学会発表が終わった後は、しばし街の散策を楽しみました。私の一番の専門は現代フランス思想なので、ヨーロッパにはよく出かけるものの、北米はほとんど馴染みがありませんでした。世界で最も住みやすい街の一つと言われるバンクーバー。東京はもちろん、ヨーロッパの都市との違いを観察しながら歩きました。世界の都市を発見できるのも国際学会に参加する醍醐味です。

学会場の大学もダウンタウン
にありました。

 夏休み中、教員は遊んでいるわけではない!ということがお分りいただけたでしょうか?夏休み明けの授業では、研究の成果を少しでも学生のみなさんに伝えられればと思います。







9月の【学問のミカタ】
・経済学部「η>δ:習慣は目先にまさる
・経営学部「甘酒ブームの加速を阻むもの・・・
・現代法学部「『なので』のなやみ

2018年7月17日火曜日

【学問のミカタ】ドイツの政治教育

 はじめまして。「教育原理」等の教職課程科目、そして総合教育科目「教育学」を担当している寺田佳孝です。今回は、自分の研究対象であるドイツの政治教育について、その特徴を簡単にご紹介したいと思います。

 「政治教育」と言うと聞きなれない言葉かもしれませんが、中学校の社会科、高等学校の現代社会、政治・経済といった科目をイメージしてください。そこでは、政治・経済システム、今の政治や社会情勢などが扱われています。こうした対象について、ドイツの学校でどのように教えられているのかを明らかにするのが、自分の研究テーマです。
 
 それではドイツに注目する理由は何か? それは、ドイツの政治教育が日本とかなり異なっており、示唆に富んでいるからです。たとえば日本の中学社会科・高校公民科に目を向けると、一般的に次の特徴が見られます。

 まず、授業で扱う内容(教育内容)について。学習指導要領や教科書記述では、政治・経済制度や概念の説明が中心です。政治争点や社会問題は扱われてはいますが、概説的に説明されるケースが目立ちます。とくに政党や社会集団、専門家の見解等が引用されることは、あまりありません。
 次に、生徒の学習活動について。教科書で今の政治・社会問題を扱う場合も、数ページで辞書のように書かれ、しかも教師主導で説明を読み上げるスタイルが一般的です(例外はあります)。これでは結果的に、生徒は、政治・社会課題を自ら判断することができなくなってしまいます。

 では、この2点について、ドイツの教育を見てみましょう。

 まず教育内容について。ドイツの場合、多くの政治の教科書は、政治的・社会的争点や問題点を主に扱います。たとえば、社会保障の章で「子どもの貧困」「失業生活」に焦点化したり、国際政治の分野で「ドイツ連邦軍のNATO軍事行動への参加」の是非を大きく扱います。
 そして学習方法について。一般に現代ドイツの教科書は、新聞や雑誌からの引用、統計データ、政治風刺等の「資料」と、「自分の考えを書く」「インターネットや図書館で情報収集する」「政党や関連団体のスポークスマンを呼び、インタビューする」等、生徒の主体性を求める「課題」から構成されます。つまり、生徒の主体的な学習活動が予定されているわけです。

 もちろん、ドイツの政治教育にも疑問はあります。「政治的に『偏って』いるのではないか」「教科書は立派でも現場の実態はどうなのか」。ドイツの政治教育の教科書や、ごく限られた「トップ校」のすばらしい政治教育実践だけに注目し、「ドイツの政治教育はすごい」と称賛するような姿勢は、避けなければいけません。しかしながら、少なくとも「政治を生徒の身近な存在にすること」「自ら政治・社会問題を調査、議論し、意見をはっきりさせる学習」、これは、日本の教育に再考を促すものでしょう。

7月の【学問のミカタ】
・経済学部「復興支援の経済学
・経営学部「Amazonが覆しつつある常識・・・
・コミュニケーション学部「アスリートは勝負をどう学ぶのか
・現代法学部「裁判員って何をするの?
・キャリアデザインプログラム「就職活動ではなく『入社活動』を!

東京経済大学の教職課程について
 本学では、中学・高校の教員免許を取得できます(取得可能な免許一覧)。
 詳しくは、「教職課程」のページをご覧ください。

2018年5月21日月曜日

【学問のミカタ】数学研究の一コマ

 数学担当の阿部です。昨年の三月頃からある数学の問題に興味を持ち、ずっとその計算をしていました。計算が終了したのが七月の終わり頃で、なかなか面白い解答が得られたので、論文にまとめようと執筆を進めていると、あるときその解答に漏れがあることに気付きました。仕方ないので執筆作業を中断し、再び計算をやり直すことにしました。こんなことがあると、ひどく落ち込んでしばらくは数学のことを見たくもなくなるものなのですが、そのときは不思議と「ほぉまだ真理に到達してなかったか。一体この問題の本当の姿はどんななんだろう」と思ったのを覚えています。

 iPS細胞で有名な山中伸弥氏がある本の中でオリジナリティについて話をしていました。概ね次のような内容だったと記憶しています。実験してみたら予想していた結果と違う結果が出てきた。自分が予想していたことは他人も予想できること。でもその予想と違う結果が出てきたら、それは他人にも予想ができないことが出てきているということなので、それは自分のオリジナルである。そのことに面白いと思えるかどうか、その事実に食らいついていけるかどうかがオリジナルな仕事ができるかどうかの分かれ道である。


 思っていた通りに事が進まないとイライラしたり落ち込んだりするものです。でも思てたのと違う事柄というのは、自分の従来の思考の枠からはみ出てる分、これまでの自分の範疇を超えていくきっかけ含んでいることがあるかもしれません。私が得た不完全な解答も、そこから漏れた事柄を丁寧に調べた結果として、自分の従来の計算技術では到達できなかったであろう場所まで研究内容を牽引してくれました。あのときよく落ち込まずに計算を続けられたなぁと今では胸をなでおろしています。尤もそのあと、より致命的な計算ミスが見つかり、全身から血の気が引き手足がぶるぶる震える憂き目にあったのですが、そのことは思い出したくもないので割愛させてください><

追記 最後の計算ミスも後日解決できました^^;

5月の【学問のミカタ】
・経済学部「日本人の長時間労働の背景
・経営学部「ミャンマーの大学生との交流会@横浜
・コミュニケーション学部「『好き』を仕事にするなら、回り道しよう
・現代法学部「ろう文化を守ることとインクルージョン:障害者と差別について考える

2018年3月12日月曜日

【学問のミカタ】なぜ人間は言語を使うことができるのか

 こんにちは!Hello! 你好(ニーハオ)!Bonjour!(ボンジュール)안녕하세요?(アンニョンハセヨ)¡Hola ! (オラ)
 
(クイズ:これらは何語でしょうか?答えはこのコラムの一番下にあります。)
 
 英語・言語学担当の小田登志子です。理論言語学の意味論を中心とした研究を行っています。理論言語学は、人間の言語のしくみを解明することを目的としています。
 
 理論言語学は比較的新しい分野で、1950年代にノーム・チョムスキーという言語学者によって始められました。チョムスキーは、我々人間は言語の知識を脳内にあらかじめ持って生まれると主張しました。そしてこの知識は人間に普遍的であるという意味をこめて「普遍文法(Universal Grammar)」と呼びました。当時この考え方は革命的で、人々を驚かせました。当時の人々は、生まれたての人間の赤ちゃんが持つ言語の知識はゼロだと考えていたからです。
 
 もちろん私たちが持って生まれる言語の知識とはとても抽象的なレベルのものなので、英語・日本語・中国語といった具体的な言語の単語や細かい知識は生後に学びます。ですから、生まれた時に「おかあさん、初めまして」と言える赤ちゃんはいません。
 
 現在、世界にはおよそ7000語の言語が存在しますが、これらの言語はすべて我々人間が脳内に持って生まれる同じ知識の上に成り立っています。したがって、表面上は互いに大きく異なるように見えても、実はどの言語でも似たような現象が観察されます。
 
英語と日本語の樹形図。語順は違うが構造は似通っている。

 例えば、日本語と英語の文法は互いにとても異なっているように見えますが、実は思ってもみない共通点がたくさんあります。以下の(1)(2)は少々長ったらしく、毎日使うような文ではありませんが、どちらも文法的に正しい文です。_は「何を」「what」がもともとあった場所を示しています。
 
(1) 〇 何を花子が太郎が _ 食べたと思っているの?

(2) What does Hanako believe Taro ate _?
 
ところが、文を少し組み換え、「_を食べた人」という言い方にすると、以下の(3)の日本語も(4)の英語も文法的におかしな文になってしまいます。この現象は日本語と英語だけでなく、世界中の言語で観察することができます。
 
(3)  × 何を花子が[ _ 食べた人]を心配しているの?

(4)  × What is Hanako worried about [the person who ate _]?
 
お互いに相談したわけでもないのに、世界中の言語に同じ現象があるのは、我々の言語が人間の脳内にある共通の土台の上に成り立っているからです。したがって、チンパンジーのような人間に近い賢い動物に人間の言語を教えても、彼らは人間の言語を獲得することができません。彼らの脳内には人間の文法の知識が存在しないからです。
 
 このお話の続きは2018年度水曜1時限の「言語学a言語学b」ですることにしましょう。この授業では、上に紹介したような文法の話だけでなく、動物のお話や世界中の言語の紹介なども行います。


成田空港にあるおもちゃの自動販売機。上から日本語、英語、中国語(普通話)、朝鮮・韓国語、スペイン語、フランス語、ヒンディー語、ロシア語、アラビア語。
 
ではまた!See you! !(ザイジェン) À plus tard!アプリュタール또만나요!

(トマンナヨ¡Hasta luego!(アスタルエゴ)
 
(クイズの答え:日本語、英語、中国語(普通話)、フランス語、朝鮮・韓国語、スペイン語)

3月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「さくらの季節
・経営学部ブログ「ペルーの日系人実業家が経営する最大手家電量販店ヒラオカ
・コミュニケーション学部ブログ「『完全なもの』は美しいが、
・現代法学部ブログ「常識を超えるためのメソッド(その1・プロローグ)

2018年1月22日月曜日

【学問のミカタ】音声の世界をのぞいてみると

 英語、総合教育演習を担当している対馬輝昭です。音声学、特に、英語音声を知覚、発音する能力の習得過程を研究しています。音とは儚いもので、なにかに記録しなければすぐに消えてしまいます。エジソンの蓄音機が音の再生に成功したのが1877年、その後レコード、テープ、CD、MDと続き、最近ではICレコーダー、PCMレコーダーと、録音・再生技術は目覚ましい発展を遂げてきました。しかし、人間の声(音声)の特徴をどのように視覚化し、さらに分析すればいいのでしょう。今回は、そんな音声の世界を少しだけのぞいていただければと思います。

 音声の視覚化、分析の例として、英語学習者が発音した音声をみてみましょう。映像1は、母国語話者が発音した、”recognize”という単語を視覚化したもので、話者が発音テスト用の文章を読み、その中の一語を切りとったものです。映像2・3は、英語学習者が同じテキストを読んだものの一部です。学習者は大学1年生で、映像2は入学直後の4月に、映像3は半年後の11月に録音したものです。入学後の約半年間、授業内外で発音・英会話の学習をしました。まず、再生ボタンでそれぞれの音声を聞いてみて下さい。映像2(学習前)では「レコグナイズ」という平坦なカタカナ読みに聞こえますが、映像3(学習後)ではかなり母国語話者の発音に近づいたのがわかります。


映像1(母国語話者)

映像2(学習前)

映像3(学習後)

  では、視覚化したものの説明をしましょう。上側が音声の波形で、左から1つめのかたまりが”re”にあたります。下側がスペクトログラムと呼ばれるもので、縦軸が周波数、横軸が時間、色の濃さが、エネルギーの強さです。赤点は、周波数帯のエネルギーが強いところを結んだもので、フォルマントといいます(一番下を「第1フォルマント」、その上から順番に、「第2、第3フォルマント」と呼びます)。ネイティブ話者の母音、/aɪ/に注目してみましょう。/a/では第1、第2フォルマントがくっついていますが、/ɪ/に移るにしたがって離れていくのがわかります。このように、母音はこの2つのフォルマントの位置関係で区別されます。子音(/t/, /r/, /s/など)にもそれぞれ特徴があり、スペクトログラム上で確認することができます。

 このような知識をもとにして学習者の音声を分析すれば、どれだけ正確に英語音声を発音できているのかを、聞いた印象だけでなくデータとして示すことが出来ます。日本人学習者にとって習得が難しいことで知られる/r/に注目してみましょう。/re/の部分のフォルマントの動きに注目すると、映像2(学習前)は、第2、第3フォルマントが上から下へと動いていますが、映像3(学習後)では、逆に下から上へと動いています。実は、/r/の発音には第3フォルマントの値が重要なのですが、学習前では、約3200 Hz(ヘルツ)だったのが、学習後では2100 Hzになっており、ネイティブ話者の約2000 Hzにかなり近づいています(スペクトログラム左端の値を参照して下さい)。このようなデータから、学習者が/r/をより正確に発音できるようになったことを、客観的に示すことができるのです。

 ひと昔前までは、高額な音声分析ソフトウエアがないとこのような分析ができませんでした。しかし今では、Praatというフリーソフトが世界的に使われており、学生や一般のひとでも音声の視覚化、さらに分析を行うことができるようになりました。自分の発音を「見てみたい」ひとは是非お試し下さい。今回の記事で、少しでも音声の世界に興味を持っていただけたら幸いです。

1月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「科学における理論・モデル・エビデンス-経済学の「エビデンス」とは
・経営学部ブログ「研究をするとなぜ創造的な思考が身につくのか?
・コミュニケーション学部ブログ「今を、少し遠くから眺めてみよう:自己採点中のあなたへ
・現代法学部ブログ「『犯罪』のイメージ ~平成29年度版犯罪白書より~

2017年11月23日木曜日

【学問のミカタ】歴史をつくる   

 こんにちは。「英語コミュニケーション」ほか英語の授業を担当している田中景です。これまでアメリカ合衆国の歴史、特に移民史を研究してきました。ですので、ここでは一般にアメリカ人にとって歴史とは何であるかを示すエピソードを紹介します。

 今月のはじめに親友のエレナとマイケル夫妻に会いにニューヨークを訪れた時のことです。スペインバルで夕食をしながら懐かしい思い出やお互いの近況を語り合い、やがて共通の知人のサンドラの話になりました。サンドラはアメリカ南部の都市ニューオリンズの出身で、その町に19世紀の南北戦争で黒人奴隷制度を擁護する南部連合軍を指揮して連邦政府軍と戦ったリー将軍の銅像が建てられていたのが最近撤去され、そのことをサンドラはひどく悲しんでいるというのです。

 周知の通り、南北戦争で南部連合軍は敗退し、黒人奴隷は解放されましたが、その後も南部ではリー将軍は南部州の自治を守るために尽くした人物として多くの住民から慕われ、各地で彼の銅像が建てられてきました。ところが、近年、特に南部地域において白人住民による黒人住民への暴行などの事件が増え、最近ではそのような人種差別をなくそうという動きから南部各地でリー将軍の銅像が次々と撤去されています。

 歴史上の人物の銅像を取り壊すなんて、大袈裟な―いいえ、そうではありません。アメリカ人の多くが南部連合軍の将軍の銅像を今なお奴隷制度に賛成し人種差別を容認する社会の象徴として見なし、黒人住民の心情を考えれば当然撤去されるべきだと考えているのです。そしてまた他方で銅像の撤去を南部の伝統と制度が壊されることに他ならないとして悔しさや悲しさを募らせている住民も多くいます―サンドラのように。いずれにしてもアメリカ人にとって歴史とは過ぎ去った出来事や知識ではないのです。

 「独立宣言に書かれた『すべての人間は生命、自由、幸福を追求する権利がある』というのは、当初は有産階層の白人男性に限定されていた。それが南北戦争や20世紀初頭の女性参政権運動、60年代の公民権運動を経て今では性別や人種に関係なくすべての市民の権利になった。サンドラは歴史に逆行している。」そう語るマイケルの言葉から、アメリカ人にとって歴史とは市民が一つになり未来に向けて理念を実践し、作っていくもの、という見方が伝わってきました。

11月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「日本の大学生は多すぎる!?
・経営学部ブログ「考・学問のすゝめ
・コミュニケーション学部ブログ「履歴書に書けないキャリアのお話
・現代法学部ブログ「『できる』と思うか、『できない』と思うか?~障害者雇用政策のあり方~

2017年9月24日日曜日

【学問のミカタ】終わらない羽音(ブーム)の熱

 はじめまして。「外国文学Ia・Ib」、「スペイン語」などを担当しています山辺弦です。今回の【学問のミカタ】では、私が研究しているスペイン語圏ラテンアメリカ文学について、初の記事執筆ということもありごく入門的にご紹介したいと思います。

 「スペイン語の小説」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょう。『ドン・キホーテ』? ご名答!(くれぐれも、『ドンキ・ホーテ』ではありませんよ!)でもこれは、今から400年以上も前にスペインで書かれた小説。新大陸発見以降に世界中に広まったスペイン語は、今では世界第4位の話者人口を持ち、20以上の国や地域で公用語とされる巨大言語になっています。これらの地域の大半を占めるのが、スペインの植民地となったメキシコ、ペルー、アルゼンチン、キューバなどのラテンアメリカ諸国です。当然「スペイン語の文学作品」はこれらの地域でも盛んに生み出されており、何も「スペイン」という国だけの専売特許ではないのです。

 こう話すと驚かれる方も多いのですが、それは一部には、「ラテンアメリカ文学」というものに対してあまりイメージが湧かない、ということでもあるでしょう。確かに二十世紀の前半までは、一部の傑出した作家たちの作品を除いて、ラテンアメリカ文学は世界的な規模での認知を十分に受けてはいませんでした。これを一変させた出来事が、主に1960年代にヨーロッパを中心として起こった、ラテンアメリカ文学(特に小説)の「ブーム」、すなわち大流行です。ガルシア=マルケス(コロンビア)の無尽蔵に湧いてくる奇想天外なエピソードの数々や、コルタサル(アルゼンチン)の現実と幻想を鮮やかに逆転させる完璧な短編、バルガス=ジョサ(ペルー)やフエンテス(メキシコ)が自国の複雑な姿を全体像として描くために発明した、魅惑的なストーリーと実験的手法を兼ね備えた見事な長編などは、小説の可能性に行き詰まりを感じていたヨーロッパの文学界を激震させました。この新大陸の再「発見」は、20世紀後半の世界文学における最も大きな出来事の一つだったと言ってよいでしょう。

 以来、その地位を確立し様々な作家や作品を送り出してきたラテンアメリカ文学は、「ブーム」の余韻さめやらぬ中、日本でもいち早く翻訳紹介されてきました。そして21世紀に入った近年、日本でのラテンアメリカ文学の翻訳・研究は再び史上最大級の活況を呈し、矢継ぎ早に刊行される新たな作品や作家たちが書店の本棚を彩っています。私自身も専門としている現代キューバ文学を中心に翻訳をやらせて頂いているのですが(既刊にレイナルド・アレナス『襲撃』、近刊にビルヒリオ・ピニェーラ『圧力とダイヤモンド』、ともに水声社)、このような盛り上がりの波に乗ってみなさんと傑作を共有できる巡り合わせには心底ワクワクさせられますし、その興奮を糧にすることで、普段の研究や読書、作家との交流といった活動の楽しみは何倍にも増していきます。みなさんもぜひ、書店へとくり出して、実はいまだ燃え上がり続けているこの「ブーム」の熱を感じ取り、自分だけの一冊を「発見」してみてください。

9月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「文化財としての景観
・経営学部ブログ「正しいとは何か?
・コミュニケーション学部ブログ「読まない ‘h’ は保守派の印?!
・現代法学部ブログ「法律におけるたった“2„の違い——18歳選挙権から考える

2017年7月21日金曜日

【学問のミカタ】We did it !

「自然の構造」ほか担当の榎です。今回は【学問のミカタ】の記事ということで、私の研究分野である天文学・宇宙物理学の話題を紹介します。

日本時間の2016212日の未明、「重力波の直接検出に成功した」という発表が、アメリカの重力波観測装置LIGOの研究チームによってなされました。その少し前から、重大発表があるという噂が業界内では流れており、その発表のネット中継を私も見ていました。冒頭、LIGOexecutive directorDavid Reitze氏が、” Ladies and gentlemen, we have detected gravitational waves. We did it !と高らかに述べました。日本語に訳すと「みなさん、私たちは重力波を検出しました。私たちはやったんです!」とでもなるでしょうか。重力波はアインシュタインの一般相対性理論で予測されていた、時空のゆがみが波動として伝わる現象です。その存在は100年前から理論的に予測されていましたが、直接検出はされていませんでした。その理由は、重力波のシグナルは大変弱いため、検出するのが極めて難しく、乗り越えるべき困難が幾多もあったからでした。日本を含む世界各地で、重力波の観測プロジェクトが進められていますが、アメリカのLIGOが一番最初に重力波の検出に成功しました。David Reitze氏の”We did it !”には、大変な困難をようやく乗り越えた万感の思いが込められていたと、私は感じました。

今回のLIGOチームの発表によると、検出された重力波を解析したところ、二つのブラックホールが合体して一つになる過程で放射された重力波であること、そのブラックホールの質量や、地球からの距離などが明らかになったとのことです。つまり、重力波を直接検出しただけでなく、その重力波から宇宙物理学的・天文学的な様々な情報を読み解くことができた、ということで、大いなる科学の進歩です。さらに、今回明らかになったブラックホールの質量は予想外のものであったため、新たな宇宙物理学・天文学の研究が発展することが期待できます。

発表があった日の日本の主要な新聞の一面は、ほぼ全て「重力波の直接検出に成功!」という記事でした。このような科学に関するニュースが流れると、よく、「それって何の役に立つの?」と聞かれます。しかし、このような受け身の質問するのは、よろしくありません。何の役に立つかわからないモノに直面した時、「これを役に立たせるにはどうしたらよいか?」と能動的に考える姿勢がなければ、イノベーションは起こせませんよ。

さて、私は、主に銀河の形成についての理論的研究を行っている研究グループの一員です。その中で、私は、特に銀河の中心に存在する超巨大ブラックホール(Supermassive Black Hole)に注目して銀河の形成の研究を進めています。その関連で、10年ほど前に、銀河形成モデルを使って、二つの超巨大ブラックホールが合体する時に放射される重力波の研究を行い、超巨大ブラックホール同士の合体が重力波でどのように観測されるのかを予測しました。近年、超巨大ブラックホールからの重力波をターゲットとした観測プロジェクトが世界でいくつか進行しており、現在、徐々に結果が出つつある段階です(ちなみに、LIGOは超巨大ブラックホールを観測ターゲットとしていません)。近い将来に得られるであろう観測結果が、私たちの予測通りであれば嬉しいですし、予想が外れると悔しいです。しかし、予想が外れた場合、超巨大ブラックホールについて新たな研究が切り開かれるので、それはそれで楽しみです。はてさて、どうなりますやら。

関連リンク 
 ・LIGO: GW150914 press release 
 ・AstroArts: アインシュタインの予測から100年、重力波を直接検出 
 ・国立天文台重力波プロジェクト推進室
 ・東大宇宙線研究所重力波グループ

7月の 【学問のミカタ】
・経営学部ブログ「大学の先生のお仕事は?
・コミュニケーション学部ブログ「異文化でのフィールドワーク
・現代法学部ブログ「法学と時代の遠近感

2017年5月25日木曜日

【学問のミカタ】噴火する火山を目の当たりにして

「地球の科学」ほか担当の新正です。

プコンから見たビジャリカ火山
今年度の「学問のミカタ」では、それぞれの研究分野で行っていることの紹介もおこなうということで、「地球科学」に関連して、野外調査での経験を記してみたいと思います。

この2月に南米チリの火山調査に行ってきました。当地の火山を10年以上にわたり研究しているグループの末席でサンプルの若干の化学分析を請け負っている立場で時に現地の調査にも参加させていただいています。

登山ツアーの宣伝
今回自分にとって目玉であったのは、常時活発に活動している火山の一つビジャリカ山(2860 m)に登って噴火の有様を目の当たりにすることができたことです。この山はここ数十年山頂のクレーターに溶岩湖をたたえ、日常は小規模な噴火を繰り返しています(時に大きめの噴火をおこしてクレーターから溶岩があふれ出ることもあります)。

そのような状況でありながら、活動が盛んな時期を除いて専業のガイドの案内のもとに誰でも山頂を訪れることができ(ただしかなり長い登山で山頂近くの氷河も越える必要がありそこそこの健脚が求められます)、麓のプコンの街(チリでも有数の観光地です)にはいくつもの登山ガイド会社が軒を連ねます。そこでは火山ガスや噴火の状況を見て、その日その日の登山の可否を判断しています。

山岳氷河を越えます
チリ・アルゼンチン国境のラニン火山
などが遠望されます

山頂で間欠的に起こる噴火の様子をしばらく眺めていて、少し怖い感じがしたのも事実です。経験のある人が状況を見て判断して登山を行なっているので、一般的に危険な事はないでしょう。実際、一緒に登ったビジャリカ山を長年監視している現地のアマチュア火山学者の方は、何十年も安全におこなわれているよ、と胸を張っていました。

しかし、同様に大変活動的な火山でありながら観光登山が行われているイタリアのエトナ山で、この3月にBBCのスタッフを含む登山客が噴石に巻き込まれるという事態が発生しています(動画含む報道)。

ビジャリカ山でもクレーター内で数分に一度程度起こる小規模な噴火を、クレーターの縁で多くの人々が眺めているわけですが、次の一発が気まぐれに少し大きめになり、人がいるところまで噴石が飛んでくる、という可能性は否定はできません。ただ、頂上で観察される光景は本当に素晴らしく、世界各地からこれを目当てに苦労して登ってくる人がいるのも頷けます。

大勢の人が山頂クレーターを覗き込む


溶岩湖がチラ見えしている
今後は、各地で採取したサンプルを分析して、マグマ生成への水の効果などを調べてゆきます。


今回の調査のビジャリカ山を含む一部行程には撮影クルーが同行していて、そこでの撮影を含めてチリ火山地帯を紹介する番組が先日BSプレミアムで放映されました。再放送もあると思いますので、ご覧いただけると幸いです。


NHK BSプレミアム 「体感!グレートネイチャー」
【学問のミカタ】生まれ月とスポーツ選手(経済学部)
【学問のミカタ】ショッパーマーケティング(経営学部)
【学問のミカタ】スポーツを通して自分を知る(コミュニケーション学部)
【学問のミカタ】刑法ってどう学んでいけばいいの?~2017~ (現代法学部)


2017年3月23日木曜日

【学問のミカタ】いつでもそうだとはかぎりませんよ

 教養講義科目の「自然の構造」ほか担当の榎です。さて、今回の学問のミカタのテーマであるSNSとはいったい何でしょうか?SNSは、スロヴァキアの右派民族主義政党の「スロヴァキア国民党(Slovenská Národná Strana)」の略号です。「SNSって、Social Network Service のことでしょ!」と思う人が多いかもしれませんが、いつでもそうだとは限りませんので注意が必要です。勝手な思い込みで考えると間違えます。そういえば、セルビアの与党第一党の「セルビア進歩党(Srpska Napredna Stranka)」の略号もSNSですね。「セルビア進歩党は、『進歩』と名乗っているのだから、左派の政党だ」と思う人がいるかもしれません。しかし、実際は、左派ではなく右派政党なのです。かつて、カナダには、「カナダ進歩保守党(Progressive Conservative Party of Canada)」という、長年二大政党制の一角を占めていた政党がありました。「進歩」と「保守」は相反する政治の立場だと思ってしまう日本の感覚からすると、どういう政党かよく分かりません。どうやら、「progressive(進歩)」と「conservative(保守)」は、単純に相反する立場ではないようですね。

 
SNS」が「Social Network Service」を指す場合もあれば、「スロヴァキア国民党」を指す場合もあるように、「いつでもそうだとは限らない」のが現実です。「こうに違いない!これが絶対に正しい!これは常識だ!」と単純に思い込んだり、勝手に決めつけてしまったりすると、勘違いして真実が見えなくなって、間違ったり、失敗することがあります。このような失敗をしないためには、「常識というのは立場や時代、地域によって変わることもある」、「正しいはずだが、ひょっとすると違うかもしれない」、「自分の知らない、気づいてない、別の可能性があるかもしれない」などと考えること、つまり、「いつでもそうだとは限らない」と考えることが必要になります。実は、このように考えられるようになることが、「教養」を学ぶ意義なのだと、私は思っています。

 在野の言語学者・哲学者であった三浦つとむの著書に「1たす1は2にならない」という本があります。この本では、多くの人が体験する様々な失敗の事例を分析し、失敗から学ぶことで、同じ失敗を繰り返さないようにするにはどうしたらよいかが説かれています。とても面白くて、おすすめです。この本の最後のまとめに当たる部分から一部引用します。
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ふりかえってみると、この本ではずいぶんさまざまな問題をとりあげてきました。
(中略)

自然にある水は飲めますか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

長崎というのは九州の地名ですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

おとなの考えは子どもの考えよりも正しいですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

自分が笑われたのは嘲笑されたからですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

ころんだ人には手をさしのべるのが正しいのですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

目で見ることも手にとることもできないものがあると考えていいですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

一度起こったことはまたくりかえすと考えていいですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

地下鉄は地の下を走りますか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

「純粋」なことはよいことですか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

距離の近いところを行けば早くつきますか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

1たす1は2になりますか?
「いつでもそうだとはかぎりませんよ」

 オヤオヤ、答えはみんな同じになりました。「いつでもそうだとはかぎりませんよ」というのは、私たちがものごとを考えるときにいつでも欠くことのできない、基本的な考え方のようですね。
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 失敗から学び、失敗を繰り返さないためには、「いつでもそうだとはかぎりませんよ」と考えること、つまり、教養が必要だということですね。

参考文献
中東欧・旧ソ連諸国の選挙データ
ポスト社会主義国の選挙・政党データ(ベータ版)
・三浦つとむ著「1たす1は2にならない」明石書店 2006年
  この本は、本学の図書館にも収蔵されています。


【学問のミカタ】3月のテーマ「SNS」
・経済学部ブログ「つながることで増える価値
・経営学部ブログ「スキップされるテレビCM(T_T)
・コミュニケーション学部ブログ「#春から○○
・現代法学部ブログ「SNSは社会の窓 ~学生の皆さんに気を付けてほしいこと~

2017年2月20日月曜日

【学問のミカタ】英語学習のルール?

英語科目担当の中川知佳子です。
突然ですが、みなさんは英語を学習するときに、
どのような勉強方法を選んできましたか?
例えば、英単語はどう覚えてきましたか?

私が担当している総合教育演習(いわゆるゼミ)では
「英語学習を科学する」をテーマに、何となく選んでいる学習方法について、
「それは本当に効果的なのか」という疑問を持って研究しています。

さて、今回は「ルール」というテーマです。

英語のルールといえば何が思い浮かぶでしょうか。
真っ先に「文法」を思い浮かべる人がいれば、
必修英語科目の単位を取得しなければ卒業できない
・・・という大学の「ルール」を思い浮かべる人もいるでしょう。

第二言語習得という研究分野では
「規則/ルール」がつく専門用語はほとんどありません。
あるとしたら「文法」を指す場合でしょう。

研究においては、既に多くの人が同意するような説であっても、
「仮説(hypothesis)」のままであり、
数々の研究によって、常識だと思われていたことが覆ることもあります。

このようなケースに「日本人」が大きく関係している事例を紹介します。

「文法形態素の習得には自然な順序があり、それは普遍的である」という
自然習得順序仮説(クラッシェンという研究者が1977年に提唱)があります。
自然な習得順序は、次の通り。


習得の順番

文法形態素


進行形の-ing、複数形の-s、連結詞のbe


助動詞のbe、冠詞the/a


不規則動詞の過去形


規則動詞の過去 -ed、三人称単数現在の-s、所有の-'s

この仮説を知ると、
確かに、英語の3人称単数現在の-sを身に付ける(使いこなす)のは
難しいよね・・・と思えます。

けれど、日本人の場合、


という直感が働きます。

実際に、日本人英語学習者の習得順序を調べた研究では、
「自然な習得順序」と一致していませんでした。
日本人のデータから「普遍的である」という仮説は覆せそうです。

研究成果や時代のニーズによって、
「効果的な指導法(学習法)」と言われるものも、変化しています。

言語学習では「先生が言ったことが絶対!」ではありません。
教師も、自分が教わった方法や、体験した方法を教えがちです。
好みは人それぞれ。効果的な方法も人それぞれ。
「自分にとって効果的な学習方法は何か」を考えることが大切ですね。

ルールを守ることは大切ですが、
「常識」だと言われるものを疑うこと、確かめることも必要
・・・という話でした。

【学問のミカタ】2月のテーマ「ルール」
・経済学部ブログ「経済学とルールの関係性
・経営学部ブログ「実際の特長を広告で表現できない?!
・コミュニケーション学部ブログ「ルールブックにない"ルール"
・現代法学部ブログ「法も「ルール」~そんな「法」の学び方をお教えしましょう~

2017年1月22日日曜日

【学問のミカタ】絵画から見えてくる中世の冬

 外国史Iなどを担当している高津です。毎日寒いですね。昨日は少し雪も降りました。しかし、拙宅には床暖房もエアコンもお風呂もあり、快適です。
 ところで、当然といえば当然ですが、中世ヨーロッパの人びとはこうした「文明の利器」の恩恵を受けることはできませんでした。
 ルネサンスの画家ハンス・ホルバインの描いた、ロッテルダムのエラスムスの肖像画があります(ルーヴル美術館の解説)。書き物に集中するエラスムスの様子を描いた作品で、繊細な学者の内面までも明らかにするかのような傑作です・・・が、ちょっと気になります。

 なんでこの人は家の中で毛皮のコートなんて着ているのだろう?

 しかし、考えてみれば当然のことかもしれません。ヨーロッパの冬は現在でも寒いですが、16世紀は「小氷河期」といわれ、一層寒かったようです。そしてエラスムスは生来病気がちでありました・・・ということを脇に置いても、最も根本的な理由はとても単純です。エラスムスの家には床暖房もエアコンもなかったのです。あるのはせいぜい火の周辺だけを温めることができる暖炉だけ。病弱なエラスムスならずとも、コートがなければ凍えてしまうでしょう。

 「機動戦士ガンダム・ユニコーン」にも登場した「貴婦人と一角獣」と呼ばれるタペストリー(壁掛け)があります。500年以上の時を経てもなお鮮やかな色彩を保ち、「中世の秋」の時代を代表する作品です。フランスのパリにあり、ほとんど海外に貸し出されることのないこの作品は、数年前に来日し、大きな話題を集めました。私も展覧会を訪れ、美しさに感動しました。
 しかし、中世の人びとにとって、「貴婦人と一角獣」はいかなる意味を持っていたでしょうか。偉大な芸術作品?いえいえ。彼らにとって、この作品は何よりも「防寒」のための「家具」であったのです。もちろん、「貴婦人と一角獣」の美しさは、時代を超えて全ての人びとに訴えるものでしょう。しかし、このタペストリーをエアコンの利いた快適な博物館で鑑賞することができる私たちは、中世の人びとよりもずっと恵まれているのかもしれません。

 歴史学は、時代、そして地域を異にする「他者」である人びとを理解しようとする試みです。しかしこれは時に難しい。それも「寒さ」とか「暑さ」とか、「恐れ」とか「喜び」とか、一見人間が普遍的に抱くような感情や感覚が、実は意外に実感できないものなのです。

 最後にもう一枚、現代とは比較にならないほど厳しい中世の冬を体感できそうな絵画を一枚紹介しておきましょう。ペーター・ブリューゲルの「雪中の狩人」(Wikipediaの解説)は、人びとを押しつぶしそうな冬の重々しさを示して余すところがありません。

【学問のミカタ】1月のテーマ「冬」
・経済学部ブログ「マシュマロ・テスト
・経営学部ブログ「通年商品でも冬の売れ方と夏の売れ方は違います。
・コミュニケーション学部ブログ「冬とシェイクスピア
・現代法学部ブログ「平等とは?

2016年12月10日土曜日

【学問のミカタ】日本人がノーベル賞を受賞してよかった!

 数学担当の阿部です.今年は東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏がノーベル生理学・医学賞を受賞しました. 日本人が受賞してほんとよかったですね.ブログのネタにも困らずに済んだというものです. さて,大隈氏は受賞後の会見を,次の言葉で結んでいます.

”私は「役に立つ」という言葉はとても社会をダメにしていると思っています。それで科学で「役に立つ」って、 数年後に企業化できることと同義語みたいにして使われる「役に立つ」という言葉は、私はとても問題があると思っています。 本当に役に立つということは10年後かも20年後かもしれないし、100年後かもしれない。 そういう何か、社会が将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかな、 ということを強く願っています。”
(東京工業大学「ノーベル生理学・医学賞2016 大隅良典栄誉教授 ノーベル賞受賞決定第1回記者会見 会見録」より)

  これを聞いたとき,「m9(`・ω・´) そう!!」とテレビにむかって声が出てしまいました. 数学をやっていると「それが何の役に立つの?」って質問はシャワーのように浴びますから. みなさんはどうですか?勉強するとき,役に立つことだけをやろうとしていませんか? もちろん役立つことを勉強したいと思うのは自然なことだと思います. でも,役立つことだけ勉強してたら,いつまでたっても夢中になる瞬間は訪れません. 「一芸を成し遂げた人は,何かに夢中になっていただけのこと」とタモさんも言ってました. 発明王エジソンの実験にまつわる逸話ですが, 彼の助手が「何ヶ月もこの実験に取り組んでいるのに、何の成果も出せないなんて悔しいです!」と言ったとき, エジソンは「いやいや、私はたくさんの成果を手に入れたぞ!何千もの事柄がうまくいかないとわかったんだから」と返答したそうです. 何かに夢中になっていると,役に立つことと無駄なことの区別なんて超越してしまうのでしょう. 大隈氏の言う「文化」もそういうところから生まれてくるのかもしれません. 何と言っても我々は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ので,文化的であることを大事にしてきた国民です. そういうものの中に豊かさの源泉があることをよく知っていたはずです.

  何かに夢中になれることは幸せなことです.人生を豊かにしてくれます. 文化的でない生活を送ることほど虚しいことはないです. みなさんが虚ろな人間にならないよう夢中になれるものを見つけられることを願っています.

【学問のミカタ】12月のテーマ「ノーベル賞」
・経済学部ブログ「取引費用とノーベル経済学賞
・経営学部ブログ「ノーベル賞のプロモーション効果
・コミュニケーション学部ブログ「ディランのノーベル賞騒動で思ったこと
・現代法学部ブログ「奥山ゼミの北欧ゼミ研修

2016年11月29日火曜日

【学問のミカタ】さわやかさを誘う「おネエことば」

 ジェンダー論担当の澁谷です。先日、学生さんが、「おもしろいですよ!」といって、『水玉ハニーボーイ』(池ジュン子作、白泉社)という少女マンガを薦めてくれました。

第一研究センター前の美しいイチョウ並木
2016年11月14日に撮影
高校を舞台としたラブコメディです。お菓子作りや裁縫が得意で「女子力の高さ」では誰にも負けない、「おネエ」口調の男子・藤司郎と、剣道部主将で「侍」の異名を持ち、周囲からの信頼も厚い女子・仙石芽衣が主役です。
 今回のテーマは「言葉」ですから、藤くんと仙石さんがどのように話すのかを見てみましょう。ひとりの女子中学生を取り囲み、複数の男子高校生が彼女を困らせていました。そこに藤くんと仙石さんがやってきて、彼女を助けてあげたあとの発言です。

 仙石「〔中学生に〕うちの学生が迷惑を掛けた」
 藤 「〔中学生に〕一応 職員室なら正面の階段上がったところよ」
 仙石「藤君も怪我無いな? 家庭科部が何故ここに」
 藤 「スポンジ焼けるまで休憩してたの」
                                   (『水玉ハニーボーイ』2巻5話)

 藤くんの語尾は「~よ」、「~の」であり、「おネエキャラ」にふさわしいものとなっています。仙石さんの断言口調もまた、「侍キャラ」を表現するものになっています。
 藤くんは仙石さんのことが好きで、告白もするのですが、仙石さんは、今は恋愛にうつつをぬかす時ではなく、修行の時であるとして、交際を断ります。が、なにかと二人は行動を共にし、距離が縮まりそうになったり、かと思いきや邪魔者が入ったり……と、読者をヤキモキさせながら、時にギャグも交えつつ、ストーリーは進みます。
 一読しての感想は、「なんだか、さわやかな作品!」というものでした。たしかに、藤くんがあくまで「異性愛者」であることが強調されている点や、悪事を働く男性を追っぱらうために藤くんが採用する手法が「あたかも『同性愛者』であるかのように迫り、怖がらせる」である点については、「うーん」と思ってしまいました(前者は異性愛至上主義=ヘテロセクシズムを、後者は同性愛嫌悪=ホモフォビアを再生産する表現に私には見えました。もちろん、作者にその意図がないことは承知です)。
 が、日本語学者のクレア・マリィ氏が『「おネエことば」論』(青土社)で分析していた2008年放送のバラエティ番組にくらべれば、このマンガにおける「おネエ」の表象のされかたは、ずっと「さわやか」だと思ったのです。

 その番組は、メイクアップアーティストの「おネエキャラタレント」が、メイクや服装がイケていない芸能人を改造する内容でした。
 マリィ氏が分析したこの番組の特徴のひとつとして、「おネエキャラタレント」が脇役におさまっている、というものがあります(70頁。以下頁数だけが示されているものは『「おネエことば」論』のもの)。
 氏は、「オネエキャラことば」を「役割語」として位置づけています。役割語とは、「ある特定の言葉遣い(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別職業、階層、年代、容姿・風貌、性格など)を思い浮かべることができるとき、あるいは特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうなことば遣いを思い浮かべるとことができるとき、そのことば遣い」のこと。文学作品では、主人公は標準語を使い、脇役は役割語を使います。役割語を語らせることで、脇役がどのような性格の人間であるかを表現します(金水敏『ヴァーチャル日本語――役割語の謎』岩波書店)。
 その図式でいけば、上記のバラエティ番組では、「普通の人代表」の男性MCが主役であり、「おネエ言葉をあやつる」おネエタレントたちが脇役となります(69-70頁)。脇役であるということは、つまり、周辺化されているということです。決して、中心=「普通」ではないポジションに位置づけられています。
 が、『水玉ハニーボーイ』は違います。役割語としてのおネエことばを駆使しながらも、藤くんはまごうかたなき主役。侍チックな役割語を語る仙石さんも、もう一人の主役です。
 なおかつ、ふたりは周囲から肯定され、信頼されています。藤くんは「藤って女子より女子力高いよな」、「ああ 藤が女だったら 俺 惚れてた」と男子から肯定的に語られ、お菓子作りが上手くなりたい女子から教えを請われています。仙石さんも、重い荷物を持っている人をさりげなく助けたり、痴漢をつかまえたりして、周囲からの厚い信頼を得ています(1巻0話)。
 役割語を話しながらも、脇役として周辺化されているのではなく、主役としてコミュニティの中心にいる。その表象のされ方が、上記のバラエティ番組とは異なり、「さわやか」な読後感を誘うのです。
 版元のサイトには、新刊発売を祝うための特設ページもできて、たいへん人気の作品のようです。『水玉ハニーボーイ』の今後の展開が楽しみです。

【学問のミカタ】11月のテーマ「言葉」
・経済学部ブログ「数字で伝わるもの、数式で伝わるもの
・経営学部ブログ「キラメって?
・コミュニケーション学部ブログ「言葉
・現代法学部ブログ「表現の自由~自分の表現がどのように伝わるか考えよう~

2016年10月9日日曜日

【学問のミカタ】フランスの秋あれこれ

国外研究員としてパリに滞在中の相澤伸依です(2017年度倫理学とフランス語担当)。今月の「学問のミカタ」のお題は「秋」。10月に入って、パリはすっかり秋めいてきました。ここでは、フランスならではの秋を紹介したいと思います。

夏の公園。平日でも
夕方からピクニックする人多数。
フランスで生活していて季節を感じるのは、何よりも日の長さの変化においてです。フランスでは夏の間は日が日本よりもずっと長い。夏至のころは22時過ぎまで明るく、夏を通して20時過ぎまで明るいのが普通なのです。フランスの人々は、夕方からカフェのテラスで一杯飲んだり、公園でピクニックをして、夏の日差しを満喫します。

逆に、日が短くなると、それは秋の訪れを意味します。20時頃に暗くなった空を見て、夏の終わりを実感するのです。ちょうど今がそんな時期に当たります。

パリには、歴史ある
オペラ・ガルニエと
近代的なオペラ・バスチーユ
があります。こちらはガルエ。
フランスでは、夏時間を採用しているので、三月の終わりから十月の終わりの期間(日付は毎年異なる)は日本との時差が7時間ですが、十月の終わりに冬時間に変更されると時差が8時間になります。冬時間になると、もう秋真っ盛り、冬も近い。夏との対比で、一層夜が長く感じられます。

秋の夜長という言葉がぴったりなこの時期、フランスの人々の楽しみの一つは劇場に通うこと。夏の間お休みしていたオペラやバレエ公演のシーズンが開幕するので、長い夜に劇を満喫して過ごすわけです。私もバレエが好きで、オペラ座にわくわくしながら出かけています。

フランス語を学ぶ学生のみなさんには、このようなフランスの暮らしぶりを知って、できれば旅行や留学などで体感してもらいたいなあと思っています。言葉は、机の上で学ぶだけでなく、使ってこそ価値あるもの。フランス語話者の文化を知ること、体験することはコミュニケーションを容易にしてくれます。

オペラ座内部のサロン。
開演前にミニコンサートをやっていることも。
ガルニエの舞台。
この日は、現代バレエを見ました。













私のフランス語の授業では、教科書で文法を学ぶだけでなく、文献や映画鑑賞を通して、フランスの文化、社会についての知識も深めます。語学は語学じゃない!がフランス語教員としての私のモットー。二年間のフランス生活で私が体験したこと、実感したことを、授業でみなさんに伝えることを楽しみにするこの頃です。

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異国で地震の報を聞いて

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・経済学部ブログ「競争と交渉の男女差
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・現代法学部ブログ「秋 -風景に人の思いや社会の関わりを感ずる季節-

2016年9月28日水曜日

【学問のミカタ】English Breakfastは、イギリスの朝ごはん?

 外国文学、英語科目ほか担当の南隆太です。およそイギリスほど、食べ物について評判の悪い国は少ないような気がする。イギリス人でさえも、自虐的に、あるいは時にはなぜか自慢げに、「料理の不味さ」を口にする。そんな国の食事で、評判が悪くないのがFull English Breakfastだ(「料理」ではなく「食事」というのがミソなのだが)。

 有名なイギリスの作家サマセット・モームは「イングランドで三食ちゃんと食べるには、一日3回ブレックファーストを食べればよい」とまで言っているのだけれど、これってイギリスの料理は不味いと認めつつも、認めたくない負け惜しみに聞こえなくもない。しかし良く考えると、食べ物ほど愛国心(あるいは郷土愛)をかきたてるものも珍しいかもしれない。自分の生まれ育った地方の食事に必要以上の拘りやプライドを持つ人は結構いたりする。しかも、日本の場合でも餃子やうどんのように、庶民的な食べ物ほど地元愛と結びつきやすいようだ。

 では、フル・イングリッシュ・ブレックファーストは「歴史と伝統」ある特別なものなのだろうか?どうやら、もともとは貴族や上流階級が狩りなどで屋敷にやってきた客をもてなすための朝食だったようだ。19世紀以前のメニューやレシピを見ると、その内容たるや、スープに始まり魚に牛肉、鶏肉、場合によっては前日の狩りで獲った鹿などの肉料理、そして最後はデザートに至るまで、その種類と量の多さに圧倒されるだろう。それがどうして今のようにベーコンとソーセージになって、こんなにイギリスの誰もが(というかどちらかといえば庶民が)誇りを持つような食事になったのだろう?

 上流階級の屋敷で料理人が作っていたブレックファーストの習慣は、19世紀の終わり頃に労働者階級や下層の中流などの一般庶民が高級化する(英語では ‘gentrification’ つまりgentry (紳士階級)のようになる)につれて取り入れられて、今のようなブレックファーストができたのだった。

 とはいえ、忙しい朝に料理する時間がないので普段はコーヒーとパンで済ませて、フル・ブレックファーストは週末に食べるというのが多かったようだ。ところが、1920年頃にアメリカからコーンフレーク(ケロッグがイギリスで販売を開始したのが1922年)や(「脂肪を燃やす=痩せる」と言われた)グレープフルーツがアメリカから入ってくると、イギリスの朝食はすぐに様変わりする。しかし、「イギリスの伝統が失われる!」という危機感からだろうか、イングリッシュ・ブレックファーストのレシピ本や雑誌の記事等が次々と発表されるようになるのだから、面白い。このように素早く用意ができて栄養価を考えた朝食のスタイルが海外から入ってきたり、その後の大きな戦争を経て、「伝統あるイングリッシュ・ブレックファースト」のイメージが次第に作り上げられていったのだろう。

 さて、この有名なイングリッシュ・ブレックファーストについて、イギリスでホーム・ステイをした学生からの苦情が少なくない。それは「不味い」ではなく、「1年いたけど、一度も食べたことがない」というもの。忙しい朝に、そんなものを作る余裕はないし、せいぜい週末の気の向いた時に作る程度で、なによりも、多くの家庭では、フル・イングリッシュ・ブレックファーストとは(国内)旅行に行ってホテルやB&Bで食べるのものなのだ。

 それでも、フル・イングリッシュ・ブレックファーストは、「何世紀にもわたって受け継がれてきたイギリスの伝統 (tradition and heritage)」だということで、「イギリス朝食協会」(The English Breakfast Society)があり、今や衰退しつつあるこの伝統ある朝食を次世代に伝えようと活動を続けている(らしい)。毎年4月の第一日曜日は「フル・イングリッシュ・ブレックファーストの日 (National English Full Breakfast Day)」なのだそうだ。興味のある方は、協会のホームページを見てほしい。イングリッシュ・ブレックファーストと多くの植民地を抱えていた頃の大英帝国とを結びつけるような説明には少なからず驚くのではないだろうか。ともあれ、歴史のほかに、レシピも載っているので、次の週末にでも、試しにフル・イングリッシュ・ブレックファーストを作ってみてはどうだろう?「伝統」と庶民感覚が混じった、普通のイギリスを感じることができるかもしれません。美味しいかどうかは別として・・・。

・参考リンク: The English Breakfast Society

Full English Breakfastの一例。bacon, sausages, egg, mushroom and fried bread これにbaked beansがつくことが多い。ストラットフォード・アポン・エイヴォンのB&Bで。

【学問のミカタ】9月のテーマ「食」
・経済学部ブログ「料理こそ経済学!
・経営学部ブログ「世の中の需要の大きさは胃袋の数・・・
・コミュニケーション学部ブログ「文化としての食
・現代法学部ブログ「貧しい食事 ~食について~