2018年5月21日月曜日

【学問のミカタ】数学研究の一コマ

 数学担当の阿部です。昨年の三月頃からある数学の問題に興味を持ち、ずっとその計算をしていました。計算が終了したのが七月の終わり頃で、なかなか面白い解答が得られたので、論文にまとめようと執筆を進めていると、あるときその解答に漏れがあることに気付きました。仕方ないので執筆作業を中断し、再び計算をやり直すことにしました。こんなことがあると、ひどく落ち込んでしばらくは数学のことを見たくもなくなるものなのですが、そのときは不思議と「ほぉまだ真理に到達してなかったか。一体この問題の本当の姿はどんななんだろう」と思ったのを覚えています。

 iPS細胞で有名な山中伸弥氏がある本の中でオリジナリティについて話をしていました。概ね次のような内容だったと記憶しています。実験してみたら予想していた結果と違う結果が出てきた。自分が予想していたことは他人も予想できること。でもその予想と違う結果が出てきたら、それは他人にも予想ができないことが出てきているということなので、それは自分のオリジナルである。そのことに面白いと思えるかどうか、その事実に食らいついていけるかどうかがオリジナルな仕事ができるかどうかの分かれ道である。


 思っていた通りに事が進まないとイライラしたり落ち込んだりするものです。でも思てたのと違う事柄というのは、自分の従来の思考の枠からはみ出てる分、これまでの自分の範疇を超えていくきっかけ含んでいることがあるかもしれません。私が得た不完全な解答も、そこから漏れた事柄を丁寧に調べた結果として、自分の従来の計算技術では到達できなかったであろう場所まで研究内容を牽引してくれました。あのときよく落ち込まずに計算を続けられたなぁと今では胸をなでおろしています。尤もそのあと、より致命的な計算ミスが見つかり、全身から血の気が引き手足がぶるぶる震える憂き目にあったのですが、そのことは思い出したくもないので割愛させてください><

追記 最後の計算ミスも後日解決できました^^;

5月の【学問のミカタ】
・経済学部「日本人の長時間労働の背景
・経営学部「ミャンマーの大学生との交流会@横浜
・コミュニケーション学部「『好き』を仕事にするなら、回り道しよう
・現代法学部「ろう文化を守ることとインクルージョン:障害者と差別について考える

2018年5月8日火曜日

破壊と創造の1日

 心理学ほか担当の野田です。4月末は、都内でも気温30度近くという記録的な暑さ。野外での課外活動はさながらサバイバルでしたが、今年も総合教育演習のゼミ生と、親子のための「ダンボールのまち」づくり企画(4月22日に開催された「こくぶんじ市民活動フェスティバル」の一環)に参加しました。「子どもたちに道路で思い切り遊ぶ経験を」との願いを込め、今や「国分寺で遊ぶ会」や「冒険遊び場の会」など地域で子どもの遊び場を展開する各種団体が集うこの企画は、バージョンアップを重ねて5年目。今年はダンボールを丸くくり抜けば“1ダンマルク”という地域通貨が誰でも手に入り、それで物の売り買いができるというシステムが導入され、さてどんなコミュニケーションが展開されるか?と期待が高まります。

 朝8時半に、国分寺市ひかりプラザ前の封鎖された道路に集合した我々スタッフを待っていたのは、屋内から大量のダンボールを道路に運び出すこと!かと思いきや、今年はダンボールのまちの「村長」から「まちのシンボルになるような、モニュメントを作って欲しい」とお題が出され、学生たちは早くも目が点に。「何を作ったら良いですか?」という質問は、「何が良いと思う?」「遊びに来る人たちがワクワクして、自分も何か作りたくなるのようなものは?」という大人スタッフの笑顔に見送られ。学生たちは自らの既成概念を破壊しつつ、未知なるモニュメントの創造に取り掛かったのでした。

創作中
シンデレラ城












 そうこうするうちに、あっという間に10時で本編開始です。続々と親子が訪れては、「両手を広げた範囲」の土地に思い思い、ダンボールの家を建て始めます。家だけでなく、ダンボールに入り「キャタピラー」となって移動し始める子、屋台で作った石鹸を売るお店、ヨーロッパ建築のような銀行、ダンボールの滑り台を作って遊ぶブースなど。大人の想像を超えて遊びが広がり、指示もルールも場の進行状況や参加者の反応によってどんどん変わっていくので、確認や臨機応変の対応が求められます。学生たちも一人前のスタッフとして、ダンボールカッターを操って親子の制作を手伝いながら、リヤカー列車の運行など初対面のスタッフ間でも協力して活動にあたります。

おうちを作ろう
ドイツ風銀行



 もう一つの重要なミッションは、村長曰く「夢中になって、子どもたちとガッツリ遊ぶこと」です。学生たちはすぐに子どもたちと打ち解け、家づくりを手伝ったり、水鉄砲で遊んだり、できた家でおしゃべりを楽しんだりしていました。真の意味で、「遊ぶ」とはどんなことなのでしょうか。昨年のセンター日記で、仏教哲学者の鈴木大拙が禅の「無心」を“childlikeness”と訳したことを紹介しました。彼は「人間は考える葦である。だが、人間の偉大な仕事は彼が計算していない時、考えていない時になされる。無心が永年にわたる自己忘却の修練の後に回復されねばならぬ」とも述べています。

私のおうち
どうする?














 ダンボールの街を歩いていると、「銀行」なのにお金を配って歩いている子どもや、作ったリボンをなかなか売ってくれない「リボン屋さん」に遭遇します。皆さんだったら、どうしますか?混沌として豊かなエネルギーに満ち溢れた生命、言葉以前の「子どものような」世界に回帰すること。それは言語形式やロジックを超えて、ダイナミックでクリエイティブな関係や空間を創出することでもあります。毎年同じイベント、と思うのは大人の発想です。毎年の真剣勝負があるからこそ、熟達化や創意工夫が見られるようになるのではないでしょうか。“知”のみならず“情意”機能も働かせ、心と身体をフルに動かして、想定外を楽しむことを教えてくれたのは常連の子どもたちです。

お疲れさまでした!

 “子育ち”支援と家族関係の心理学をテーマとする本ゼミも新年度、まだ2回目です。学生同士はお互いに顔と名前がまだ一致せずでしたが、イベント後の打ち上げ懇親会は賑々しく、締めくくりは見事な一本締め。二次会も楽しかったようです。子どもには、遊びと学びの区別がありません。「遊ぶように学ぶ」心持ちで、学生たちは今年も学びを深めていくことでしょう。

関連記事
「ダンボールの街」に遊ぶ
【学問のミカタ】大学には「宿題」はない!?
冒険遊び場「国分寺市プレイステーション」での体験的学び

2018年3月30日金曜日

リベラルアーツ教育とその可能性――教養教育 再検討の試み

 ジェンダー論他担当の澁谷です。3月16日に行われた、東京経済大学、全学共通教育センター主催、多摩アカデミックコンソーシアム(TAC)の協力で行われたFDシンポジウム「リベラルアーツ教育とその可能性――教養教育 再検討の試み」の報告です。

   第一部は、国際基督教大学(ICU)の伊東辰彦氏(音楽学、国際基督教大学教養学部教授・前教養学部長)による基調講演「新リベラルアーツ考――大学教育の再生に向けて」だった。講演は「これがリベラルアーツだ!」といった類のセリフはまやかしと考えたほうがよい、というドキリとする言葉から始まった。論じるべきは、教養教育によって培われる能力や視点は一体なんのために必要であったのか/必要であるのか、ということである。それは時代や場所によって変化するものであり、現代でいえば「教養は全人類的な課題解決のために必要」なのだといえる。あるアジア圏の大学では、新たに教員を採用するさい、専門領域における卓抜な能力とともに、その能力が地球や人類社会の問題解決にどのように結びつけることができるかを判断基準として選抜を行うという。

 教養は決してドラマティックなものではなく、日々の教育実践の積み重ねである、との指摘もあった。ケネディの演説に、「平和は、少しづつ意見を変え、ゆっくりと古い壁を取り壊し、静かに新しいものを構築する、日々の、週間ごとの、月ごとのプロセスである。いかにドラマティックなものからかけ離れていようと、平和を求めることを求めつづけなければならない」というものがあるが、伊東氏によれば、この演説の「平和」を「教養」に置きかえることができるという。

 たとえば、氏は、専門外のテーマで卒論を書く学生を指導することがある。「あなたが選択したテーマがいかに面白いか、私を説得してください」と学生に求める。すると学生はきちんと説明する。20歳そこそこでも、「社会についてのセンス」のようなものはきちんと持っている。彼らの言うことを否定せず、語らせ、逆に教員の側が学生から学ぶこともまた、日々の教育実践であり、ひいては教養教育である――との教育論が示された。

 第二部のパネルディスカッションでは、TACに加盟する各大学から報告があった。国立音楽大学の久保田慶一氏(音楽史学・音楽学)は、「キャリア教育」が「就職教育」になってしまっている現状に疑義を呈し、人生を包括的に計画するための国立音楽大学の教養科目「就職・結婚・子育て」を紹介した。学生の9割が女子であることをふまえての内容だが、男子学生も履修し、「男女で協力していかないと家庭は立ち行かないことが分かった」などの感想を寄せるという。

 ICUの岡村秀樹氏(物理学)は、文系であろうと理系であろうと「科学的な考え方」はすべての学生/市民にとって必要であり、リベラルアーツに科学は必須であると述べた。また、「科学」が広まるのに200年かかり、それは今でも発展途上であって、日本の政治や行政に科学の考え方が入っていない(ほぼ文系の人だけで日本の国の運営している)ことに警鐘を鳴らした。近年流行している「エビデンス・ベースドな考え方」といわれるものは、結局は自分にとって都合のよいエビデンスだけを選択しているのではないか、それを科学的な思考と呼んでよいのか、という問題提起もあった。

 東京外国語大学の山口裕之氏(ドイツ文学・文化、表象文化論)からは、専門教育の前段階として教養教育が位置づけられているという紹介があった。2019年から教養科目がさらに充実する予定である。そのうち、「教養日本力」というカテゴリーでくくられる各科目の紹介があった(「日本の現在を知る」、「日本の文学と文化を知る」、「日本の歴史と社会を知る」など)。「日本」を越え出て世界と関わる視点と、「日本」にたいする視点の両方を養うことに力点が置かれている。

 東京経済大学からは新正裕尚氏(岩石学・地質学)が報告した。教養科目運営組織とカリキュラムの説明のあと、課題として教育方法と教育内容の向上について述べた。前者に関しては教養科目によく見られる大規模講義の問題に触れ、アクティブラーニングは万能ではないが,双方向性を持った授業展開の必要性について論じた。後者については個々の教員の研究・研鑽と教員間で協力した企画・しかけが必須であることを述べた。東経大での企画の例として,2012年度に始めその後発展してきたゼミ報告会などを示し、新たな企画を興し改善するために適切なPDCAサイクルの重要性、教員間での協力関係が担保される健全な教養科目運営組織の必要性について論じた。

 武蔵野美術大学からは白石美雪氏(音楽評論・音楽学)から、美大生が関心を持つ教養科目はビジュアルを重視しているという報告があった。その成功例の一つとして、志田陽子教授(憲法学)の「映画で学ぶ憲法」が挙げられた。映画『善き人のためのソナタ』では表現の自由を、『フラガール』では経済活動の自由を、『アメイジング・グレイス』、『リンカーン』では奴隷制の禁止や、法の下の平等、議会制民主主義のあり方などを学ぶという。また、学生にコンサートの企画と運営を経験させる授業「コンサートを作る」の報告があった。有名なチェンバロ奏者とバロックダンスのダンサーを招き、コンサートの内容の企画はもちろん、演者との連絡、事前の広報や、当日の舞台演出、撮影まですべてを学生が請け負う。

 フロアの参加者をまじえての質疑応答ののち、場所を移して情報交換会が行われた。教養教育のあり方や日々の教育実践をめぐって活発な議論が行われ、多摩地区の近隣大学の間でこうした機会が持たれたことを喜ぶ声が多数聞かれた。今回は卒業式ゆえに参加できなかった津田塾大学もまじえ、次回のシンポジウムは国立音楽大学で開催される予定である。


・参考:「TACとは?」(本学のTAC紹介ページ)より。
 多摩アカデミックコンソーシアム(TAC)は、多摩地区にある4年制大学で構成される大学協力機構です。 東京経済大学と国際基督教大学、国立音楽大学、武蔵野美術大学、東京外国語大学、津田塾大学の6大学の専門分野を生かした単位互換制度、図書館の相互利用、学生・教職員の交流を行っています。

・大学ニュースのシンポジウム報告記事

2018年3月12日月曜日

【学問のミカタ】なぜ人間は言語を使うことができるのか

 こんにちは!Hello! 你好(ニーハオ)!Bonjour!(ボンジュール)안녕하세요?(アンニョンハセヨ)¡Hola ! (オラ)
 
(クイズ:これらは何語でしょうか?答えはこのコラムの一番下にあります。)
 
 英語・言語学担当の小田登志子です。理論言語学の意味論を中心とした研究を行っています。理論言語学は、人間の言語のしくみを解明することを目的としています。
 
 理論言語学は比較的新しい分野で、1950年代にノーム・チョムスキーという言語学者によって始められました。チョムスキーは、我々人間は言語の知識を脳内にあらかじめ持って生まれると主張しました。そしてこの知識は人間に普遍的であるという意味をこめて「普遍文法(Universal Grammar)」と呼びました。当時この考え方は革命的で、人々を驚かせました。当時の人々は、生まれたての人間の赤ちゃんが持つ言語の知識はゼロだと考えていたからです。
 
 もちろん私たちが持って生まれる言語の知識とはとても抽象的なレベルのものなので、英語・日本語・中国語といった具体的な言語の単語や細かい知識は生後に学びます。ですから、生まれた時に「おかあさん、初めまして」と言える赤ちゃんはいません。
 
 現在、世界にはおよそ7000語の言語が存在しますが、これらの言語はすべて我々人間が脳内に持って生まれる同じ知識の上に成り立っています。したがって、表面上は互いに大きく異なるように見えても、実はどの言語でも似たような現象が観察されます。
 
英語と日本語の樹形図。語順は違うが構造は似通っている。

 例えば、日本語と英語の文法は互いにとても異なっているように見えますが、実は思ってもみない共通点がたくさんあります。以下の(1)(2)は少々長ったらしく、毎日使うような文ではありませんが、どちらも文法的に正しい文です。_は「何を」「what」がもともとあった場所を示しています。
 
(1) 〇 何を花子が太郎が _ 食べたと思っているの?

(2) What does Hanako believe Taro ate _?
 
ところが、文を少し組み換え、「_を食べた人」という言い方にすると、以下の(3)の日本語も(4)の英語も文法的におかしな文になってしまいます。この現象は日本語と英語だけでなく、世界中の言語で観察することができます。
 
(3)  × 何を花子が[ _ 食べた人]を心配しているの?

(4)  × What is Hanako worried about [the person who ate _]?
 
お互いに相談したわけでもないのに、世界中の言語に同じ現象があるのは、我々の言語が人間の脳内にある共通の土台の上に成り立っているからです。したがって、チンパンジーのような人間に近い賢い動物に人間の言語を教えても、彼らは人間の言語を獲得することができません。彼らの脳内には人間の文法の知識が存在しないからです。
 
 このお話の続きは2018年度水曜1時限の「言語学a言語学b」ですることにしましょう。この授業では、上に紹介したような文法の話だけでなく、動物のお話や世界中の言語の紹介なども行います。


成田空港にあるおもちゃの自動販売機。上から日本語、英語、中国語(普通話)、朝鮮・韓国語、スペイン語、フランス語、ヒンディー語、ロシア語、アラビア語。
 
ではまた!See you! !(ザイジェン) À plus tard!アプリュタール또만나요!

(トマンナヨ¡Hasta luego!(アスタルエゴ)
 
(クイズの答え:日本語、英語、中国語(普通話)、フランス語、朝鮮・韓国語、スペイン語)

3月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「さくらの季節
・経営学部ブログ「ペルーの日系人実業家が経営する最大手家電量販店ヒラオカ
・コミュニケーション学部ブログ「『完全なもの』は美しいが、
・現代法学部ブログ「常識を超えるためのメソッド(その1・プロローグ)

2018年2月5日月曜日

2017年度「総合教育研究」発表会レポート

 2月1日(木曜日)に、「総合教育研究」の発表会が行われました。「総合教育研究」は、全学共通教育センターが開講する卒業論文に相当するもので、2年次以降のゼミである「総合教育演習」で学んだ成果を発展させて、論文や制作にまとめあげるものです。2014年度より、全学共通教育センターの公式行事として発表会を開催しています。以下に、今年度発表のタイトルの一部を例示します。
  1. 「英単語学習方略における分解法の使用:漢字学習方略が及ぼす影響に着目して」
  2. 「ニキからの『サプライズプレゼント』」
  3. 日本人英語学習者における性差とリーディングストラテジー使用の関係」
  4. 「朝鮮学校の補助金問題と日本の民主主義の問題に関する考察〜千葉朝鮮学校への地域交流事業補助金交付取り消し問題とその歴史を題材に〜」


 総合教育演習・研究の多様性を反映して、さまざまな研究分野からの発表がなされました。個人の発表時間は、質疑応答を含めて30分でした。質疑応答時には、教員・聴衆の学生を交えて、激しい議論が行われることもあり、大いに盛り上がりました。発表終了後、発表学生をねぎらい表彰が行われ、コーヒーとお菓子を楽しみながら、議論を続けるなどして個別にさまざまな振り返りがなされました。

 発表された学生さんは本当にお疲れ様でした。またご聴講いただいた学生さん、先生方に厚く御礼申し上げます。「自然の構造」他担当の榎が記しました。

・関連記事へのリンク
 2016年度「総合教育研究」発表会レポート (2017年2月2日)
 2015年度「総合教育研究」発表会レポート (2016年2月3日)
 2014年度「総合教育研究」発表会レポート (2015年2月2日) 
 2017年度「総合教育演習」ゼミ報告会を行いました (2017年12月9日)

2018年1月22日月曜日

【学問のミカタ】音声の世界をのぞいてみると

 英語、総合教育演習を担当している対馬輝昭です。音声学、特に、英語音声を知覚、発音する能力の習得過程を研究しています。音とは儚いもので、なにかに記録しなければすぐに消えてしまいます。エジソンの蓄音機が音の再生に成功したのが1877年、その後レコード、テープ、CD、MDと続き、最近ではICレコーダー、PCMレコーダーと、録音・再生技術は目覚ましい発展を遂げてきました。しかし、人間の声(音声)の特徴をどのように視覚化し、さらに分析すればいいのでしょう。今回は、そんな音声の世界を少しだけのぞいていただければと思います。

 音声の視覚化、分析の例として、英語学習者が発音した音声をみてみましょう。映像1は、母国語話者が発音した、”recognize”という単語を視覚化したもので、話者が発音テスト用の文章を読み、その中の一語を切りとったものです。映像2・3は、英語学習者が同じテキストを読んだものの一部です。学習者は大学1年生で、映像2は入学直後の4月に、映像3は半年後の11月に録音したものです。入学後の約半年間、授業内外で発音・英会話の学習をしました。まず、再生ボタンでそれぞれの音声を聞いてみて下さい。映像2(学習前)では「レコグナイズ」という平坦なカタカナ読みに聞こえますが、映像3(学習後)ではかなり母国語話者の発音に近づいたのがわかります。


映像1(母国語話者)

映像2(学習前)

映像3(学習後)

  では、視覚化したものの説明をしましょう。上側が音声の波形で、左から1つめのかたまりが”re”にあたります。下側がスペクトログラムと呼ばれるもので、縦軸が周波数、横軸が時間、色の濃さが、エネルギーの強さです。赤点は、周波数帯のエネルギーが強いところを結んだもので、フォルマントといいます(一番下を「第1フォルマント」、その上から順番に、「第2、第3フォルマント」と呼びます)。ネイティブ話者の母音、/aɪ/に注目してみましょう。/a/では第1、第2フォルマントがくっついていますが、/ɪ/に移るにしたがって離れていくのがわかります。このように、母音はこの2つのフォルマントの位置関係で区別されます。子音(/t/, /r/, /s/など)にもそれぞれ特徴があり、スペクトログラム上で確認することができます。

 このような知識をもとにして学習者の音声を分析すれば、どれだけ正確に英語音声を発音できているのかを、聞いた印象だけでなくデータとして示すことが出来ます。日本人学習者にとって習得が難しいことで知られる/r/に注目してみましょう。/re/の部分のフォルマントの動きに注目すると、映像2(学習前)は、第2、第3フォルマントが上から下へと動いていますが、映像3(学習後)では、逆に下から上へと動いています。実は、/r/の発音には第3フォルマントの値が重要なのですが、学習前では、約3200 Hz(ヘルツ)だったのが、学習後では2100 Hzになっており、ネイティブ話者の約2000 Hzにかなり近づいています(スペクトログラム左端の値を参照して下さい)。このようなデータから、学習者が/r/をより正確に発音できるようになったことを、客観的に示すことができるのです。

 ひと昔前までは、高額な音声分析ソフトウエアがないとこのような分析ができませんでした。しかし今では、Praatというフリーソフトが世界的に使われており、学生や一般のひとでも音声の視覚化、さらに分析を行うことができるようになりました。自分の発音を「見てみたい」ひとは是非お試し下さい。今回の記事で、少しでも音声の世界に興味を持っていただけたら幸いです。

1月の【学問のミカタ】
・経済学部ブログ「科学における理論・モデル・エビデンス-経済学の「エビデンス」とは
・経営学部ブログ「研究をするとなぜ創造的な思考が身につくのか?
・コミュニケーション学部ブログ「今を、少し遠くから眺めてみよう:自己採点中のあなたへ
・現代法学部ブログ「『犯罪』のイメージ ~平成29年度版犯罪白書より~

2017年12月27日水曜日

TKUサイエンスカフェ「時間とはなんだろう」

 自然の構造ほか担当の榎です。12月19日(火)に学習センターにて、今年度2回目となるTKUサイエンスカフェが開かれました。講師は慶応大学の松浦壮さんで、「時間とはなんだろう」というタイトルでお話しされました。今回の参加者数は、40名近くにのぼりました。なお、松浦さんは、2013年度のTKUサイエンスカフェでも講演して下さっています。

 講師の松浦さんは、素粒子論を専門とする理論物理学者です。「時間」については、様々な立場から論じることができますが、今回、松浦さんには、物理学の立場から見た「時間」について語ってもらいました。


 私たちが時間をどのようにして実感するのかをよく考えてみると、物体の運動を通してである、ということにたどり着きます。物体の運動は、自然の法則である運動の法則に支配されています。私たちの身の回りの物体の運動は、17世紀に明らかになったュートンの運動の法則で説明することができます。そのため、私たちが素朴に持つ時間の感覚は、ニュートンの運動の法則に基づくものといえます。しかし、物理学が発展するに従って、ニュートンの法則では説明できない現象が明らかになってきました。それは、「光」についての現象です。20世紀に入ると、アインシュタインにより、光の現象も含めて説明できる運動の法則である相対性理論が構築されました。ニュートンの法則では、時間と空間はそれぞれ別の独立したものとされましたが、相対性理論では時間と空間は不可分で一体のものとして考えます。さらに、20世紀には、素粒子のような物質の根源にかかわるミクロな領域での運動の法則である量子論が構築されました。この量子論と相対性理論を基にすると、物質や力も、時間や空間の特性のひとつと理解できます。そして、このお話は、時間・空間・物質・力の全てが同じルーツを持つと考える『量子重力』へと繋がっていくのです。このように、物理学が発展するにしたがって、「時間」の概念は変わり、より本質が明らかになっていきます。

 今回のサイエンスカフェでは、以上の物理学から見た時間についての概念の変遷と、時間と空間を一体として考える相対性理論とはどのようなもなのかについて、熱く語られました。「時間」については誰もが実感できるけど、実態を考えるとよく分からないものであるためか、講演の途中でも質疑応答がなされ、カフェ終了後も、何名かの学生さんが残って講師の松浦さんに疑問をぶつけていました。

 なお、このほど、松浦さんは「時間とはなんだろう 最新の物理学で探る『時』の正体」(講談社ブルーバックス)という本を出版されました。サイエンスカフェで語られたことは、この本に詳しく書かれています。今回のサイエンスカフェに合わせて、松浦さんの著作と、哲学、数学、地球科学、天文学、物理学といった様々な学問領域から見た「時間」についての本を選んで、本学図書館にて、展示しています。ぜひ、ご覧になって、「時間」について様々な思考を巡らせてみて下さい。

(参考)これまでのTKUサイエンスカフェのレポート
 2013年度第1回「この夏、天の川銀河の超巨大ブラックホールに接近するガス雲の運命
 2013年度第2回「宇宙は何からできている?
 2014年度第1回「折り紙の数学
 2014年度第2回「ブラックホールの謎に迫る!
 2015年度第1回「コンテンツの生まれかたと受けとりかた
 2015年度第2回「豚インフルエンザについて
 2016年度第1回「ブラックホール、ビッグバン、そして次元 ~人に話したくなる宇宙のおはなし~
 2016年度第2回「コスモスを秋桜と書く理由、秋桜が春に咲く理由
 2017年度第1回「映像世界と身体感覚