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2022年4月27日水曜日

「育つ」のは誰?-国分寺の街と人のあいだで

  心理学ほか担当の野田淳子です。

 私が担当するゼミの総合教育演習(“子育ち”支援と家族関係の心理学)では、今年は久々に課外活動から学びのスタートを切ることができました。座学とフィールドでの実践を行き来して人間の“育ち(発達)”と支援の取り組みについて学ぶこのゼミですが、長引くコロナ禍の影響で、親子イベントの中止や遊び場でのボランティア人数制限などから、これまで続けてきた課外活動自体が昨年・一昨年から任意となり、実施が難しい局面も多々あったからです。

 このたびは国分寺市プレイステーション(通称:プレステ)のプレイリーダー・奥冨裕司さんのご紹介で、武蔵国分寺の史跡公園で“ちょうど良い居場所”という活動を続けていらっしゃる横澤咲穂里さんにお話を伺いながら、近くにある「ぶんじ寮」という珍しい運営形態のシェアハウスを見学させて頂きました。このご時世で16人もの大学生を受け入れてくださることに感激しながら、大学にて全員が検温・手指の消毒を済ませて不織布をマスクを着用のうえ、いざ出発!です。

 大学正門から一気にはけを下り、お鷹の道と水路を横切り、藤森照信氏のタンポポハウスを横目に到着した「ぶんじ寮」。その特徴を少しばかりご紹介しますと、学生達が最も驚いたのは、シェアハウスなのに「ルールがほとんどない」けれども「対話がある」ということだったようです。見学当日も寮の入り口で横澤さんにお話を伺っていると、住人の大学生の方が降りて来て、なんと快く寮案内を買って出てくださり。さすが、ぶんじ寮!です。

ぶんじ寮の屋上にて

 寮では月2回幹事持ち回りでの定例会(ミーティング)のほか、地元の方が届けてくださった野菜で一緒にご飯を作って食堂で食べたり、中庭でひっそりと焚火が始まったり、いつの間にか庭に畑ができたり。20名の住民同士だけでなく、それをサポートする地元の有志、大人・子どもを問わず地元の方々ともさまざまな場や機会、知恵をシェアしたり持ち寄ったりしながら、お金だけでは手に入らない価値を生み出そうとチャレンジされているのだなと思いました。

 「ルールがないということだが、何か問題が起きたときに目を逸らさず、皆で話し合えるという暗黙のルールのようなものが出来ているから、皆が自由に暮らしながら維持できているのだなと思った。子どもたちだけでなく、大人もさまざまな価値観の人たちと関わり合い、話し合うことで視野を広げていくことができると思った」と、レポートに書いた学生もありました。多様な人々がともに暮らすのは簡単なく、きっとこのご時世ならではのご苦労も数々あろうかと思いますが、それ以上の大切さや醍醐味を学生達も感じ取ったのではないかと思います。最後に素晴らしい眺めの屋上へご案内頂き、お天気も気分も最高!真夏の暑さと解放感を満喫しました。

史跡公園にて、横澤さんらと4年生

 見学後は武蔵国分寺の史跡公園へ移動して、“ちょうど良い居場所”のシンボルの大きな木の下で、活動を始められた経緯や居場所づくりにかける横澤さんの思いを伺いました。プレステが移転で目の前から無くなってしまうと知ったとき、「大切なものを失ってしまうということがあるんだなと思った」と、時おり声を詰まらせながら語る横澤さん。コロナ禍で閉場を余儀なくされたプレステを最終日だけ、何とかプレステを開けて頂いて利用者も一丸となって皆でプレステを解体したこと、その一部をまるで“遺品”のように持ち帰る子どもたちもあったとのこと。語られる喪失感は、深い愛情の証です。学生達も、遊び場が子どもにとってのみならず、親や地域の人々にとってもかけがえのない学びと交流の場であることに気づき、目から鱗だったようです。

 このままでは終われない、自分達でできることを実現しようと、毎週月曜に旧プレステに続く武蔵国分寺の史跡公園に集まって、言わば移動式の遊び場、居場所づくりをボランティアで始めた横澤さん。奥富さんをはじめ、プレイリーダーの方々やプレステを利用していた親御さんたちとともに、試行錯誤しながらの活動でした。公園にゴザや本、遊具などを拡げて、かつては大木にブランコをつるし、仲間だけでなく、道行く子ども達や大人が気軽に出入りして羽を休められる場を目指し、今も取り組みを続けています。コロナ禍で活動を続けること自体が難しく感じられることもあるなか、地域や暮らす人々を見守り続け、学生達にも惜しみなく貴重な時間を与えてくださることに、深く頭が下がる思いでした。

野外にて交流を深める2・3年生

 もうひとつ驚いたのは、当日この課外活動の話を聞いた“ちょうど良い居場所”のメンバーの方々が複数駆けつけ、学生達と関わってくださったことです。「家に住むのではなく、町に住むというのは凄いと感じた」との学生の言もありましたが、国分寺市民のパワーを感じたことかと思います。遠出はできなくとも、国分寺はこんなにも緑も人も豊かで良いところなのだと、認識を新たにした学生も多かったようです。この地で見守られ、育った人々が、これからこの地で育つ人々の力となっていく。そんな「順のくぶし」の伝統と底力が国分寺にはある、と実感した課外活動でした。


関連リンク
東京サバイバル
認定NPO法人「冒険遊び場の会」(国分寺市プレイステーションの運営団体)
ぶんじ寮の日常


2019年10月16日水曜日

私たちの常識は、非常識?

 心理学など担当の野田淳子です。今年も1期から始まった「多様性社会に資する心理支援を実践するa(1期)b(2期)」の特別授業が、早くも2期(後期)に突入しました。2期は2回目の授業にしてゲスト講師をお呼びするという大胆な構成で、ご登壇くださった山本篤さん(関東聴覚障害学生サポートセンター)が開口一番、「この中で、聴覚障害の人に会ったことのある方はありますか?」と質問すると、意外にも一定数の学生がパラパラと手を挙げました。アルバイトで接客をした経験のある学生も、複数あったようです。

山本さんの授業風景

 山本さんは重度の聴覚障害をお持ちの当事者で、現在は右耳のみ補聴器をつけてかろうじて聴き取れる程度の聴力だそうです。普段は大学等で障害を持つ学生や教職員のサポートに携わる仕事をされていますが、今回は「ろう者の常識は、聴者の非常識?」という興味深いタイトルで、2名の手話通訳者の方の言葉を通して授業をして頂きました。ちなみに手話通訳は、英語ニュースの同時通訳のようなスキルと労力を要するため、内容や時間によっては2名以上付くことがあるのです。実は「口話」もできる山本さんですが、手話の重要性に気づいて大学時代にマスターされたそうで、手話のほうがより多くの考えをきちんと伝えることができるため、「授業は手話で」という話になりました。たとえ聴覚障害を持つ方と出会ったことのある学生でも、多くは「耳が聞こえないから補聴器をつけている」など漠然としたイメージがある程度で、同じ「聴覚障害」でもその聞こえ方は人それぞれであること、補聴器をつければ音が聴こえるとは限らないことをはじめ、「ろう者」と「聴覚障害者」の違いなど、初めて知ることばかりだったようです。 

 “ワークショップ形式”のグループワークでは「ろう者と聴者のすれ違い」や「ろう者の困難」に焦点を当て、ろう者(聴覚障害者)に関して「どんなところで困っていそうか?」「接して、自分はどんなところで困ったか?」といったお題が出されました。山本さんは各グループの見解ひとつひとつ、例えば「演劇を見るときに困るのでは」という意見には「良い質問です!最近は芝居の音声を字幕化するタブレットを貸し出すところも増えています。先日は字幕のタブレットを見て、歌舞伎を楽しみました」、「(ろう者と)ぶつかりそうになった」という経験に対しては「これはどういう意味でしょう?ろう者は聞こえない分、注意して周囲を見回したりすることもあるのですが、どういう状況だったのでしょうか?」など丁寧にコメントをして下さり、広がっていく対話に学生達も身を乗り出して参加していました。「沸騰したお湯やインターホンの音がわからない」「飲食店での注文が難しい」「適切な声や音の大きさが解らない」「補聴器をイヤホンと勘違いされる」といった日常の困りごとから、「災害時の警報に気づけない」「キャッシュカード紛失時の本人確認が電話でできない」「歩道で自転車の呼び鈴に気づけず、ぶつかってしまった」など深刻な出来事に至るまでお話しいただき、「自分が想像する以上に、ろう者の方が感じる困難が多かった」との声が、授業後のレポートでは多数寄せられました。「赤ちゃんの泣き声がわからなくて、夜は我が子の手を握って寝ていた」という子育てのエピソードにもびっくり仰天、知れば知るほど「聴者の常識は、ろう者の非常識?」です。

グループワークの様子

 特に「情報保障」という概念は目からウロコで、インターホンの音を点滅で知らせる、スマートフォンを介して文字を音にして伝える、最近では状況判断に必要な“雑談”を拾って文字化する機器が出てくるなど、テクノロジーの進歩によって様々な情報が提供されるようになりました。情報保障は、「相手のニーズ」「その場の状況」「情報保障の方法」が合っているか?の3点を考えることが重要とのことでした。緊急時のツイッター利用や、その場ですぐに文字や商品情報などを提示できるスマホは、聴覚障害者にとっては画期的なインフラです。しかし、「昔よりも手に入る情報が増えたが、情報量がかなり多くなって理解するまでに時間がかかり、体力の消耗も激しいという実態を知ることができた」という学生のコメントに見られるように、利用しうる情報や手段が増えたことは諸刃の刃でもあります。また「耳が聞こえない」ことから生じる二次的・三次的な障害や社会的な不利益、例えば「解ったふり」をせざるを得ないと感じ、結果的に人と会うのが億劫になるなどの問題が生じる場合もあります。「障害(障壁)は障害者にあるのではない。障害者との間にある“ことばに頼るコミュニケーションで図ろうとする認識”にある」「“聴こえない”ことそのものが問題なのではなく、それによって生じる不利益やトラブルこそが、今後解決しないといけない問題だと思う」といった学生のコメントからも、山本さんの目指す「ろう者も聴者も」というWin-Winの関係・環境を構築する必要性を強く感じました。実際、私も「歌舞伎の字幕タブレット」は借りて観劇したいと思いましたし、誰もが過ごしやすく、かつ力を発揮しうる社会を実現するうえで、不可欠な問題だと思うからです。

山本さんによるグループワークの講評

 この特別授業は、本学独自の「教育改革支援制度(別名:進一層トライアル)」の助成を得て、多様性(ダイバーシティ)を活かす社会の構築に不可欠な「あらゆる他者を尊重し、受容する良き関係性を築くこと」や、そための「心理的支援(ケア)」とは何か?を、実際の体験に近い形での経験を通して考えることをねらいとして、同じく心理学の大貫先生とペアで実施しています。「普通」だと思っていたことが「当たり前」ではないことに気づき、解らないことや知りたい世界が増えていく。それは学生だけでなく、私たちも同じです。後期の特別授業でも、まだ見ぬ他者の世界を知る楽しさや、様々に異なる人々とともに歩むうえで必要な理解や支援とは何かを追求する面白さを、実感できるようにしていけたらと思っています。

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2019年8月10日土曜日

東京サバイバル

  心理学ほか担当の野田淳子です。果てしなく暑さが続く毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?猛暑による熱中症で倒れる人々のニュースが世を賑わせるなか、今年も総合教育演習のゼミ生たちは子どもたちとの野外活動に取り組みました。お付き合いが続く国分寺の社会教育施設、認定NPO法人「冒険遊び場の会」が運営する国分寺プレイステーション(通称:プレステ)でのボランティアです。最高気温35℃のこの時期は、常駐プレイリーダーのユウジさん曰く「絶好の水遊び日和」=水遊びでもしないとやっていられない状況で、学生たちはもちろん着替え持参です。午前中から既に陽射しも強く、到着するや否や半裸で裸足の子どもたちと水遊びが始まりました。事細かな熱中症対策に加え、体調に不安を感じたら無理せず涼しい所で休む!が野外活動の鉄則と伝授し、さながらサバイバルです。


 これほどの暑さはできれば避けたいものですが、にも関わらず、なぜ子どもたちと野外で遊ぶボランティアへと赴くのか?と疑問に思う方があるかもしれません。その教育的意義は様々ですが、何よりも学生たちの手で掴み取って欲しいと願う世界があるからです。プレステに通う子どもたちは、筋金入りです。夏の暑さや蚊をものともせず、嬉々として野外を飛び回って1日中遊んでいます。既成品のおもちゃなど無い空間で、ロープを渡ったり、自作の滑り台に水を流してウォータースライダーにしたり、火を起こして食事を作って食べたり。「お鷹の道に釣りに行こう」と誘われた学生たちは、「エサにミミズを捕まえ、釣り具も自分で作るなんて」と驚いていました。もちろん釣果も自ら調理しする子どもたちで、今年はハゼのからあげやザリガニの素揚げが振る舞われたようです。

 時としていたずらや遊びたい気持ちのあらわれとは受け留められないような乱暴が過ぎて、子どもたちは怒られ、怪我をすることもあります。ところが、それでめげるどころか往々にして行為はエスカレートし、何気なく「子どもたちと遊んであげよう」と思って来場した学生のほうが、めげそうになることもあります。お互いにとって意味ある時間と場を紡ぎ出すために、葛藤を味わいながらも相手の言い分に耳を傾け、自分の意見もしっかりと伝え、あるいはプレイリーダーの言動を観察し、あの手この手と試みて、全身全霊で子どもたちと向き合おうとする体験には、答えもマニュアルもありません。そうして、子どもたちと一緒になって目を輝かせ、たとえ泥だらけになっても遊び込めた学生は最強です。当初は考えてもみなかった事態であっても、相手と自分の「楽しい」が織りなす密度の濃い豊かな時間を体得できれば、今だけでなく未来につながる関係性を構築できるからです。どこでも、誰とでも生きていける。「生きる力」とは、元来そんなものではないでしょうか。

 ところが、子どもたちの「いたずら」も遊びの延長として、子どもたちが自ら遊び、自ら気づきを得るのを何よりも大切にしたいと考えるプレステのユウジさんですら、あまりの悪態や落書き、破壊損壊ぶりが目に余るということもあるといいます。しかし、いたずら行為の目的とは何か?に目を向けると、彼らなりに「自律」に向けてフィールドワークをしていることが、透けて見えてくるそうです。例えば「あの人はこうすると怒る。この人はなかなか怒らないけれど・・・?」というように、彼らは様々な大人の反応から仮説検証的に他者理解を深め、社会でうまくやっていく術を身に着けていく途上にあります。プレステ以外の場所では、別人のように良い子である場合も少なくないそうです。残念なことに、こうした意味ある子どものいたずらや迷惑が、許容される前に排除されるのが、今のご時世だというのです。それで本物の自信が、育つのだろうか?と考える、ユウジさんたちプレステのスタッフの胸を借りて「自他の力試し」ができる子ども達や学生達は幸せです。多くの人に支えられ、今を精一杯生き抜く。人は誰しも逞しいサバイバーだと実感する機会は、意外にも身近なところにあるのかもしれません。

 嬉しいことに、学生達の活動する姿を一番評価して下さるのもプレステ・スタッフの方々です。今年も「嫌なことは嫌だと、子どもたちに本気で怒って良いんだよ」とアドヴァイスを頂きながら活動を全うした学生達に、「朝からずっと、積極的に子どもたちと関わってくれてとても良かった」「みな素直で、きちんとしてるよね。喧嘩の仲裁もどうしたら良いか、解らないことはちゃんと聞いてくるし」「ぜひ、また子どもたちと遊びに来て!」といったお言葉を頂きました。学生達も「〇〇(子どもの名)は去年と比べて、ずいぶん成長したな」などと話をしています。この地で40年近くも続く冒険遊び場の活動も、実は今年度が最後です。この武蔵国分寺の史跡公園の傍らからの移転が、決まっているからです。離れてしまうのは誠に残念ですが、プレステの活動がさらに拡がりますように!

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2019年2月26日火曜日

真のダイバーシティ,実現に向けて

 心理学など担当の野田淳子です。平成最後の…といった言葉が飛び交う新しい年を、皆さんはどのように迎えられたでしょうか。慌ただしくなりがちな年明けですが、今年は3日に同僚のお勧めの映画『いろとりどりの家族』を観に行きました。障害をはじめ、“普通”とはちょっと違うと見なされがちな背景を持つ子どもたちとその親たちが登場するドキュメンタリーで、家族の形や関係は実にさまざま。幸せも色とりどりで、一つとて同じものはありません。しかし、そこには共通点があることに気づきました。敢えて言葉にするならば、各人が常識にとらわれること無く「これぞ私の生きる道」と思う世界を実現し、かつ、それが周囲の人々から理解され、祝福されることです。

数年ぶりの映画鑑賞へと背中を押してくれたのが、「ケアする側も幸せでないと、相手に寄り添えない」というゲスト講師の言葉でした。昨年暮れ、認定NPO法人「マギーズ東京」の常勤看護師・岩城典子さんが、特別講義「多様性社会における心理支援を学ぶ b.」にいらしてくださった時のことです。マギーズ東京は3年前の201610月に、“がん”と診断された方々やそのご家族・友人にとっての「第三の居場所」を提供するべく、東京は豊洲の「市場前」にオープンしました。以来、13,000名と来訪者は増え続け、NHKのドキュメンタリー番組でもたびたび取り上げられる注目の相談支援機関です。
マギーズ東京の岩城典子さん

発祥は英国、乳がんの再発後「余命半年」と宣言された造園家のマギー・ジェンクス氏が、主治医に治療法などさまざま聞こうとした時、「他の患者さんが待っていて、時間が無いから」と診察室の外に出され、「胃にパンチを受けたようなショックを受け」泣き崩れた実体験がもととなり。病気であっても1人の人間として、自らの人生についてゆっくり考えられる、小ぢんまりとした家庭的な居場所が必要だと考えたマギー氏は病を押して奮起し、担当看護師だったローラ氏や建築家のご主人と力を合わせて、エジンバラの病院敷地内にマギーズ・キャンサー・ケアリングセンター第一号が完成したのが1996年。マギー氏が他界した、翌年のことでした。

以来、英国ではポール・スミスやザハ・ハディド、黒川紀章など名だたる建築家がその建築設計にボランティアで名乗りを挙げるほど有名ながん相談支援機関の拠点となり、世界にも広がりをみせて22番目に誕生したのが「マギーズ東京」で、訪問看護のエキスパートである秋山正子氏と、20代でがんと闘い日本テレビ記者として復職された鈴木美穂氏が共同で代表を務めています。チャリティ文化の無い日本で、チャリティのみで運営することは並大抵ではなく、2021年度には正式な移転先(土地や建物等)を探さねばならないなど課題も山積です。しかし、病院の敷地「外」にあるマギーズは日本のみ。チャリティグッズの販売、がん患者の食事・運動などケアに関わる様々なプログラムやサポート側を養成する研修会の実施、この3月にはチャリティー・コンサートの開催など新たな可能性にチャレンジし、ボランティアも多数かかわっているのです。

本講義ゲスト講師の、いわば「取り」を務めて下さったマギーズ東京の岩城さん。開口一番「がんが死に至る病なのではなく、告知を受けた後に人々が抱く絶望こそが、何よりも治療しなければならない病だと思った」という学生の感想が心に残ったとご紹介くださり、「この言葉に、マギーズのスタッフ一同、深く頷きました」「皆さんの感想、一枚一枚に対してコメントを返したいくらいです」「NHKのディレクターさんに、皆さんの声をお伝えして良いですか?」とお話が始まりました。前回の授業で、マギーズ東京を取材したNHKハートネットTV『がんとともに歩む力を』を視聴し、グループ・ディスカッションを経て学生たちが書いた小レポートを直前にお送りしたのですが、まさかマギーズ東京の皆さんが目を通して下さるとは!感激した学生も多かったようです。どんな言葉にも、その人の強みを見いだす。マギーズ東京の相談支援の素晴らしさに、改めて感じ入ったしだいです。

今や「がん=死」ではなく、手術や治療を経て、外来に通いながら、サバイバーとして長い人生を全うする時代です。しかし、手術や治療が終わっても、再発リスクなど病の不安や悩みから逃れることはできません。にも関わらず、がん拠点病院の相談支援センターの利用率が7.7%と低水準に留まっているのは、予約が必要で時間が限られており、問題が明確にならないと相談しづらいといった数多くの課題があるからです。これに対して、マギーズ東京は予約不要で時間制限もなく、開いている時間ならばいつでもふらっと立ち寄ることができて、専門看護師や臨床心理士が古くからの友人のように暖かく迎えて、相談に乗ってくれる。素敵なカフェのような心地の良い空間で、ゆっくりとお茶を飲みおしゃべりをしても良し、ひとりでぼーっとして休むもよし。人それぞれ、自由に時間を過ごすことができるのです。

とはいえ、マギーズの相談支援の類稀なるところの第一は、その傾聴的態度です。「単なる傾聴ではない」「あなたのがんの専門家は、あなたですよ」「その人が歩き出せると思う、その力を後ろから押す」など秋山さんがNHK番組で語った言葉や、「励まさない」「先導しない」「沈黙があっても、最低20秒くらいは黙る」「対等な立場で友達のように、普段どおりに接する」といった岩城さんの具体的な事例をふまえたお話から、学生達も曰く「(がんによって)希望を奪われた人が、自分の気持ちを率直に出し、その生き方を自分で選択していけるような」傾聴や場の特性に注目しはじめたようです。これは「傾聴」を軸とするあらゆる心理的な相談支援の通じる、重要な視点です。

この「特別講義」は、大学から「教育改革支援制度(別名:進一層トライアル)」の助成を得て、臨床心理学の大貫敬一先生との「ペア授業」という珍しい授業形式で開講した新しい試みです。多様性(ダイバーシティ)を活かす社会の構築に不可欠な、「あらゆる他者を尊重し、受容する良き関係性を構築する」ための「心理的支援(ケア)」とは何か?を考えることを目的としています。社会の様々な場での支援の実際を、ワークなどの体験学習・現場の取材VTR視聴・ゲスト講師の講演を通して“具体的に”学び、グループ・ディスカッションの内容を発表・シェアし、その後に振り返りの小レポートを書くことを積み重ねてきました。ゲスト講師も、全盲の障害を持ちながら会社で働く社会人の方、児童養護施設の施設長の方、家庭に居場所を求めづらい青少年をサポートするNPOKiitosの代表の方など多岐に渡っています。自分と異なるさまざまな人々が実は関わり合って社会が成り立っていることばかりか、無縁だと思っていた人々の世界観に触れて目が開かれ、そうした人々が発揮し成長するパワーに驚き、触発された学生も少なくないようです。

年明けの授業で、マギーズ東京を取材したもう一つのETVを視聴してディスカッションを行うと、「捉えかたひとつで、人生が変わる」「“寿命がわかったから、今まで後回しにしていたことをやろう”と人生を楽しむなど、がんになったから見える世界もあるのだと感じた」「相手の考えを引き出すという形で話を聞くことは簡単ではないが、自分もそんな聞き方ができるようになりたい」といった声が寄せられました。様々な場で生きる他者の視点に敢えて立つことで、我が身を振り返り、「なりたい自分」の姿を見いだす。それがさらなる学びへ、自ら取り組む大きな原動力となるのではないでしょうか?


2018年5月8日火曜日

破壊と創造の1日

 心理学ほか担当の野田です。4月末は、都内でも気温30度近くという記録的な暑さ。野外での課外活動はさながらサバイバルでしたが、今年も総合教育演習のゼミ生と、親子のための「ダンボールのまち」づくり企画(4月22日に開催された「こくぶんじ市民活動フェスティバル」の一環)に参加しました。「子どもたちに道路で思い切り遊ぶ経験を」との願いを込め、今や「国分寺で遊ぶ会」や「冒険遊び場の会」など地域で子どもの遊び場を展開する各種団体が集うこの企画は、バージョンアップを重ねて5年目。今年はダンボールを丸くくり抜けば“1ダンマルク”という地域通貨が誰でも手に入り、それで物の売り買いができるというシステムが導入され、さてどんなコミュニケーションが展開されるか?と期待が高まります。

 朝8時半に、国分寺市ひかりプラザ前の封鎖された道路に集合した我々スタッフを待っていたのは、屋内から大量のダンボールを道路に運び出すこと!かと思いきや、今年はダンボールのまちの「村長」から「まちのシンボルになるような、モニュメントを作って欲しい」とお題が出され、学生たちは早くも目が点に。「何を作ったら良いですか?」という質問は、「何が良いと思う?」「遊びに来る人たちがワクワクして、自分も何か作りたくなるのようなものは?」という大人スタッフの笑顔に見送られ。学生たちは自らの既成概念を破壊しつつ、未知なるモニュメントの創造に取り掛かったのでした。

創作中
シンデレラ城












 そうこうするうちに、あっという間に10時で本編開始です。続々と親子が訪れては、「両手を広げた範囲」の土地に思い思い、ダンボールの家を建て始めます。家だけでなく、ダンボールに入り「キャタピラー」となって移動し始める子、屋台で作った石鹸を売るお店、ヨーロッパ建築のような銀行、ダンボールの滑り台を作って遊ぶブースなど。大人の想像を超えて遊びが広がり、指示もルールも場の進行状況や参加者の反応によってどんどん変わっていくので、確認や臨機応変の対応が求められます。学生たちも一人前のスタッフとして、ダンボールカッターを操って親子の制作を手伝いながら、リヤカー列車の運行など初対面のスタッフ間でも協力して活動にあたります。

おうちを作ろう
ドイツ風銀行



 もう一つの重要なミッションは、村長曰く「夢中になって、子どもたちとガッツリ遊ぶこと」です。学生たちはすぐに子どもたちと打ち解け、家づくりを手伝ったり、水鉄砲で遊んだり、できた家でおしゃべりを楽しんだりしていました。真の意味で、「遊ぶ」とはどんなことなのでしょうか。昨年のセンター日記で、仏教哲学者の鈴木大拙が禅の「無心」を“childlikeness”と訳したことを紹介しました。彼は「人間は考える葦である。だが、人間の偉大な仕事は彼が計算していない時、考えていない時になされる。無心が永年にわたる自己忘却の修練の後に回復されねばならぬ」とも述べています。

私のおうち
どうする?














 ダンボールの街を歩いていると、「銀行」なのにお金を配って歩いている子どもや、作ったリボンをなかなか売ってくれない「リボン屋さん」に遭遇します。皆さんだったら、どうしますか?混沌として豊かなエネルギーに満ち溢れた生命、言葉以前の「子どものような」世界に回帰すること。それは言語形式やロジックを超えて、ダイナミックでクリエイティブな関係や空間を創出することでもあります。毎年同じイベント、と思うのは大人の発想です。毎年の真剣勝負があるからこそ、熟達化や創意工夫が見られるようになるのではないでしょうか。“知”のみならず“情意”機能も働かせ、心と身体をフルに動かして、想定外を楽しむことを教えてくれたのは常連の子どもたちです。

お疲れさまでした!

 “子育ち”支援と家族関係の心理学をテーマとする本ゼミも新年度、まだ2回目です。学生同士はお互いに顔と名前がまだ一致せずでしたが、イベント後の打ち上げ懇親会は賑々しく、締めくくりは見事な一本締め。二次会も楽しかったようです。子どもには、遊びと学びの区別がありません。「遊ぶように学ぶ」心持ちで、学生たちは今年も学びを深めていくことでしょう。

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2017年5月31日水曜日

「ダンボールの街」に遊ぶ

 「心理学ab」や「発達と学習の心理」などを担当する、野田淳子です。GWも明け、真夏のような陽気ですね。同じく真夏日だった4月の連休前、市民フェスティバルの家族イベント「ダンボールの街」企画に、ゼミ生・教職課程の学生たちと参加しました。“子育て・子育ち”をめぐる支援と家族関係の心理学をテーマとする私たちのゼミに「ぜひとも参加して欲しい」と、NPO法人「冒険遊び場の会」の関係者からお声がかかったからです。

  3年前から始まったこの企画は、封鎖した公道で思い思いにダンボールで家などを建て、街と化した道路で遊ぶ1日限りの夢のような時間で、毎年楽しみにしている子どももいるようです。当日はスタッフとして、学生たちと国立の「ひかりプラザ」に朝8:30には集合! 前日の雨で道路にたまった水をコップで掻き出すことから、準備が始まりました。街ですから、町名や番地をつけて、住民登録をする町役場を作り、集めた大量のダンボールを用意し。と、準備を進めていくうちに、あっという間に10時。いよいよ、本編スタートです。

番地をつける
役場建設中


 
 





 


  続々と親子が集まってきて、ダンボールでなにやら真剣に作り始めます。できあがったのは家だけでなく、ロボットや乗り物など、実に様々です。学生たちも負けじと、子どもたちと一緒になって家を作ったり、リヤカー列車が走れば駅を作ったり。ダンボールカッターを持っているスタッフの学生たちは、助っ人としても引っ張りだこです。

どうしたい?
完成!私たちのお家












 自分たちの作った家でお昼を食べてひと休みした後は、「ステージ」と称した街中のスペースで子どもたちの“恋ダンス”やチャンバラが始まります。自分たちの家でごっこあそびをしたり、隣同士で家を訪ね合ったり、お店を開いたり。学生たちは「疲れたけれど楽しかった」「子どもたちの想像力、あらゆることを遊びに変えるパワーは凄い!」と、感心しきりでした。「支援」では「する側」と「される側」に分かれるのではなく、関わることで相互に新たな気づきがあり、「また関わりたい」と思える関係性を築くことが、何よりも大切なのではないかと考えています。

一戦?
輪投げで「遊び屋」営業中


  子どもたちは、自分たちと「対等に」接してくれる大人を求めています。そうした大人の胸を借りて、やりたいことを自分の力で成し遂げたかのように実感した体験が土台になって、自分の世界を広げていく力が育つのではないでしょうか。そういえば、禅の「無心」を“childlikeness”と訳したのは鈴木大拙でした。「子どものような心」を取り戻すとは、どういうことでしょうか? 次回に、また考えてみたいと思います。

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【学問のミカタ】大学には「宿題」はない!?

2015年8月25日火曜日

【学問のミカタ】 大学には「宿題」はない!?

 「心理学」関連の授業を担当する、野田淳子です。「夏休み」といえば「宿題」。連想ゲームのようですが、「もう宿題は終わった?」といったやりとりが交わされる、早くも8月も終盤となりました。 

(1)大学には「宿題」はない!?

  大学では「課題」は出されますが、「宿題」はありません。と言い切って良いものかどうかわかりませんが、個人的には「宿題」と「課題」には大きな意味の違いがあると考えています。「宿題」は与えられた問いに対応する、期待された答えを導き出すという意味合いが強いのに対して、「課題」は大まかなテーマや問題設定はあるものの、それに対してどうアプローチし、どのような結論を導き出すかは取り組む側の主体性や創意工夫に任されているのではないかと思うからです。「知を授けられる側」から、「知を生み出し、授ける側」へと転換を図ること。まさに大学教育の重要な目的の1つであり、教育面で試行錯誤しているところでもあります。

(2)大学で取り組む「課題」とは?(一例として)

 私が担当する総合教育演習(いわゆるゼミ)では、「子育て支援と家族関係の心理学」というテーマに興味を持つ学生たちが集まり、追求する価値のある問い(リサーチ・クエスチョン)を見い出し研究するべく、授業時間中の文献講読だけでなく、実際に親子とかかわるなど心と身体をフルに活用する実践を行います。前期のゼミで、例を挙げますと…

・国立市民フェスティバル「ダンボールの森」に参加

国立市民フェスティバル「ダンボールの森」

・「聞かせや・けいたろう」さんとの絵本の読み聞かせの実践

「聞かせや・けいたろう」さんとの絵本の読み聞かせ

・東村山市の「三世代交流」への参加

東村山市の「三世代交流」への参加

国分寺プレイステーションにて

 そして夏休みの課題の一つが、「国分寺プレイステーション(通称:プレステ)」へボランティアに行くことです。ここは国分寺市の社会教育施設で、認定NPO法人・冒険遊び場の会が運営する「冒険遊び場」です(詳細は会のHPをご参照のこと)。ゼミでは例年、前期に一度プレステに学生とお邪魔していて、今年6月の訪問では、学生たちは子どもたちに火の起こし方を教わって野外で焼きそばを作ったり、どろんこになって子どもたちと追いかけっこをして遊びました。プレイリーダーに見守られながら、大人も子どもも“たっぷりと豊な遊び”を経験します。

 授業なのに「子どもたちと遊んでばっかりなの?」と思うかもしれませんね。この「子どもたちと遊ぶ」という活動、実はとても奥深い営みなのです。子どもたちは手加減せず、あくまで楽しい!面白い!と思うことを全身全霊で追求し、「夢中で」=「真剣に」遊んでいます。子どもには、遊びと勉強(仕事)の区別はありません。日常の遊びや生活こそが創造的な学びの実践であり、生きることそのものなのですから。

 そうした子どもたちと遊ぶことで、学生たちは様々な気づきや葛藤を経験し、自分が「当たりまえ」だと思っていた現象を問い直しはじめます。例えば「子どもたちは自由だなぁ。この場では何をしたら良いか、どう振る舞うかを考えてしまう大人と違って、ダンボールとガムテープだけで自分たちの遊び(家、チャンバラ、衣装など)をどんどん創りだしていく」「子どもたちの間では、けんかや言い争いは日常茶飯事。すぐに止めに入ろうとしてしまう自分の対応は、良いのだろうか?」など、学生たちから様々なつぶやきが聞こえてきます。そんなふうに「当たり前」が「不思議」に変わる瞬間を学生たちは記録し、考察し、そこからより深い問いを練り上げていきます。例えば「どうしたら子どもたちと仲良く遊べるのか」という素朴な問いから、「子どもたちは目上の人に対して敬語を使うとは限らず、親密な関係性になれば目上でも敬語は使わなくなるのではないか」という「敬語利用は親密度のバロメーター仮説」を見つけて検証しようとした学生もありました。

(3)「問い」の追求を通して培う、さまざまな力

 このように、学生たちは大学で「課題」に取り組み、あらゆる現象に関して自らが設定した問いを追求する力を培うだけでなく、「自分はなぜこの現象が気になるのか」と問いを発する主体である「自分」と向き合う機会も得ています。この点は案外重要で、そこから自分の適性や進路が見つかるという場合も少なくありません。ゼミでは「支援」や「良好なコミュニケーション」とは何かを考えることも隠れたテーマとなっていますが、「子どもたちや親御さんを支援しよう、と思って関わっていたのに、気づいたら自分が彼らから教わったり、助けてもらっていた」といった自己への気づきから、相互に援助されたと思える関係の構築がより良い支援の一環となることを学ぶ学生もあります。

 「自ら体験を広げつつ、学び舎で習得した知的な道具を活用して、社会という海を泳いでいき、自分なりの教養を作り出せる人たちを生成することが教育者の使命である。そのためには知的な道具を与えるだけでなく、体験を広げる味を覚えさせ、海を泳ぐ技能と意欲を持たせ、平行して泳ぐに値する社会を形成することが必要だ」と説いた、学生時代の恩師の言葉を思い出す今日この頃。学生たちが夏休みに、どんな宝の原石を見つけてくるかが楽しみです。「宿題」などと構えずに、書を携え、外の世界へ飛び出して。面白いことをザクザク、掘り当ててみませんか?


 

2013年11月17日日曜日

「心理学b」でのゲスト講師

心理学の野田です。後期の「心理学b」の授業では、お二人のゲスト講師をお招きしています。

去る1029日は臨床心理士の松原絵美さんに、「世代間連鎖-そして、母になる」と題して、虐待等による暴力や支配の影響についてお話をして頂きました。重要なのは、虐待を受けた経験自体だけでなく、そうした経験の否認や被害的認知がさらなる虐待につながっていくメカニズムがあるということです。6ヶ月になる娘を持つ母として、育児・家庭・仕事などの生活で実感する喜びとストレスの両面について、母親・子ども双方の観点から率直かつ真摯に語る松原さんのひとことひとことに、学生たちは食い入るように聴き入っていました。

「愛情」という名のもとで行われる極端な過保護や体罰による「支配」は、学生たちにとって身近な問題として受けとめたようです。「(支配的な親にならないために)過去形で褒めるとはどういうことですか?」という学生からの質問に対する「できるから頑張りなさいではなく、できたことを褒める。あるがままの子どもの姿を認める」という松原さんの言葉には、授業後の感想文でも多くの学生の共感が寄せられました。学生達の感想文に丁寧なフィードバックまで下さった松原さんとの時間は、当日の授業中にずっと娘さんのおもりをして下さったパパの姿とともに、学生たちの心に深く刻み込まれたことでしょう。

次回のゲスト講師は、プレーリーダーの奥冨裕司さんです。
興味のある方は、1126日(火)1限にA405教室へどうぞ!

「共育の遊び場より~私(大人)と子ども達の育ち方」
奥冨 裕司 氏 (NPO法人・冒険遊び場の会)
 心が折れ(かけ)た事、ありますか?
 “better a broken bone than a broken spirit”. Lady Allen of Hurtwood (1897 - 1976) .

この言葉は遊ぶ事の重要性を端的に表現した名言の一つとして、世界中の冒険遊び場から支持を得ています。では、たかが遊びに『心』が引用されているのは何故でしょう?本講義では、冒険遊び場(国分寺市プレイステーション)の特質を理解し、共育現場で自己の育て直し真っ最中の私(プレイリーダー)と子ども達の情緒的、技能的成長過程を事例を交えて解説。心と遊びの関係性、遊びを介した共育の意義を考察します。

2013年7月4日木曜日

冒険遊び場「国分寺市プレイステーション」での体験的学び



梅雨の晴れ間がのぞく629日(土)、総合教育演習(「現代の家族関係と子育て支援」担当教員:野田准教授)の一環で毎年お邪魔している国分寺市プレイステーションにて、今年は21世紀教養プログラムゼミの学生達もともに1日を過ごしました。ここは国分寺市の社会教育施設で、冒険遊び場の会(NPO法人)が指定管理者として運営する全国でも数少ない「冒険遊び場」です。

理事の武藤さんに施設の概要についてお話を伺ったあと、学生みずからが火を起こして昼食の準備開始です。最初はうまく火がつかず苦労していましたが、手慣れた小学生たちの火起こしから見よう見まねで学び、気がつけば美味しい焼きそばのできあがり。小学生たちとも自然に打ち解けて、作った食べ物を分けあったり、一緒に鬼ごっこやブランコ、木工をして遊んだり。得意なギターを奏でる学生もあれば、保護者の方にベイゴマの回し方を教わって中学生達と興じる学生もあり。子どもたちと夢中になって遊び、あっという間の1日でした。学生達からは「子どもたちと遊ぶのが楽しかった」「お父さんの気持ちがわかった」などの声が寄せられ、常駐するプレイリーダーのユウジさんに「子どもたちを叱ることはあるのか」など熱心に質問をする姿も見られました。



体験後の振り返りでは、「自分が嫌だと思ったことを、子どもたちにどう伝えたら良いか」「保護者の方は子どものことをよく知っているだけでなく、自分たち(学生)のこともよく見て任せ、かつフォローをして下さっている」などの視点が出されました。子どもたちとの関わりだけでなく、保護者や職員の方々との交流を通して学んだことも多かったようです。高い木に登ったり、そこから飛び降りたり、焚き火をしたり、何日もかけて土を掘ったりと、通常の公園ではできない遊びや試みが冒険あそび場でできるのは、常にプレイリーダーが見守っていてくれるからでもあります。子どもが育つことにかかわることで、大人も育つ。この体験を、後期のゼミでの学びに活かして欲しいと願っています。