2018年5月8日火曜日

破壊と創造の1日

 心理学ほか担当の野田です。4月末は、都内でも気温30度近くという記録的な暑さ。野外での課外活動はさながらサバイバルでしたが、今年も総合教育演習のゼミ生と、親子のための「ダンボールのまち」づくり企画(4月22日に開催された「こくぶんじ市民活動フェスティバル」の一環)に参加しました。「子どもたちに道路で思い切り遊ぶ経験を」との願いを込め、今や「国分寺で遊ぶ会」や「冒険遊び場の会」など地域で子どもの遊び場を展開する各種団体が集うこの企画は、バージョンアップを重ねて5年目。今年はダンボールを丸くくり抜けば“1ダンマルク”という地域通貨が誰でも手に入り、それで物の売り買いができるというシステムが導入され、さてどんなコミュニケーションが展開されるか?と期待が高まります。

 朝8時半に、国分寺市ひかりプラザ前の封鎖された道路に集合した我々スタッフを待っていたのは、屋内から大量のダンボールを道路に運び出すこと!かと思いきや、今年はダンボールのまちの「村長」から「まちのシンボルになるような、モニュメントを作って欲しい」とお題が出され、学生たちは早くも目が点に。「何を作ったら良いですか?」という質問は、「何が良いと思う?」「遊びに来る人たちがワクワクして、自分も何か作りたくなるのようなものは?」という大人スタッフの笑顔に見送られ。学生たちは自らの既成概念を破壊しつつ、未知なるモニュメントの創造に取り掛かったのでした。

創作中
シンデレラ城












 そうこうするうちに、あっという間に10時で本編開始です。続々と親子が訪れては、「両手を広げた範囲」の土地に思い思い、ダンボールの家を建て始めます。家だけでなく、ダンボールに入り「キャタピラー」となって移動し始める子、屋台で作った石鹸を売るお店、ヨーロッパ建築のような銀行、ダンボールの滑り台を作って遊ぶブースなど。大人の想像を超えて遊びが広がり、指示もルールも場の進行状況や参加者の反応によってどんどん変わっていくので、確認や臨機応変の対応が求められます。学生たちも一人前のスタッフとして、ダンボールカッターを操って親子の制作を手伝いながら、リヤカー列車の運行など初対面のスタッフ間でも協力して活動にあたります。

おうちを作ろう
ドイツ風銀行



 もう一つの重要なミッションは、村長曰く「夢中になって、子どもたちとガッツリ遊ぶこと」です。学生たちはすぐに子どもたちと打ち解け、家づくりを手伝ったり、水鉄砲で遊んだり、できた家でおしゃべりを楽しんだりしていました。真の意味で、「遊ぶ」とはどんなことなのでしょうか。昨年のセンター日記で、仏教哲学者の鈴木大拙が禅の「無心」を“childlikeness”と訳したことを紹介しました。彼は「人間は考える葦である。だが、人間の偉大な仕事は彼が計算していない時、考えていない時になされる。無心が永年にわたる自己忘却の修練の後に回復されねばならぬ」とも述べています。

私のおうち
どうする?














 ダンボールの街を歩いていると、「銀行」なのにお金を配って歩いている子どもや、作ったリボンをなかなか売ってくれない「リボン屋さん」に遭遇します。皆さんだったら、どうしますか?混沌として豊かなエネルギーに満ち溢れた生命、言葉以前の「子どものような」世界に回帰すること。それは言語形式やロジックを超えて、ダイナミックでクリエイティブな関係や空間を創出することでもあります。毎年同じイベント、と思うのは大人の発想です。毎年の真剣勝負があるからこそ、熟達化や創意工夫が見られるようになるのではないでしょうか。“知”のみならず“情意”機能も働かせ、心と身体をフルに動かして、想定外を楽しむことを教えてくれたのは常連の子どもたちです。

お疲れさまでした!

 “子育ち”支援と家族関係の心理学をテーマとする本ゼミも新年度、まだ2回目です。学生同士はお互いに顔と名前がまだ一致せずでしたが、イベント後の打ち上げ懇親会は賑々しく、締めくくりは見事な一本締め。二次会も楽しかったようです。子どもには、遊びと学びの区別がありません。「遊ぶように学ぶ」心持ちで、学生たちは今年も学びを深めていくことでしょう。

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