2015年9月11日金曜日

フィールドワークのジレンマ


文化人類学ほか担当の深山直子です。今年は夏が大急ぎでやってきて大急ぎで去ってしまった感がありますね。関東から東北にかけて昨日から大雨が降り注いでおり、被害が最小限に留まるよう祈るばかりですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

大学教員は教えることと研究すること双方から成り立っている職業ですので、夏季休暇は後者に集中するための大切な時間です。私は文化人類学者で、対象地域でのフィールドワークを重要な研究手法と位置付けていますので、夏にはたいてい研究室を離れフィールドに向かいます。

先月、学生以来ずっと研究対象としているニュージーランドに、10日間ほど行ってまいりました。この国自体は、日本でも大分知名度が上がったので、みなさんもオーストラリアの東側にある細長い島国だ、ということはご存知かと思います。しかし、私が関心を寄せているマオリという民族となると、聞いたことがないというひとやオーストラリアのアボリジニと混同するひとが多いようです。

マオリの祖先は、今からおよそ700年前に現在はニュージーランドと呼ばれるようになった島々に、カヌーで海を越えてやってきたポリネシア系のひとびとです。1800年代半ばにイギリスが植民地化を推し進め、マオリはマイノリティの立場に甘んじざるを得なくなりました。しかしながら、粘り強い権利・地位の回復運動の結果、現在ではこの国で先住民として大きな存在感を発揮しているといえるでしょう。

さて、マオリは部族集団に分かれていて、集団はそれぞれ全国各地に領域を持っています。しかしながら、第二次世界大戦以降、仕事を求めて故郷たる領域を離れ、都市に移入するマオリが急増しました。私はこのようなひとびとに強い関心を持っており、従って最大都市オークランドにおいて、マオリ人口比率の高い南部郊外を拠点に、マオリ家族のもとで居候しながらフィールドワークを実施してきました。

人類学では、しばしば長期にわたる継続的なフィールドワークが重要だといわれます。大学教員になった今、それは叶わないわけですが、最近は「戻り続けること」の意義を噛みしめています。時に前の滞在から1年にも及ぶ間が空いてしまったとしても、あるいは戻ってきたところで1週間ほどしか滞在できなかったとしても、再び同じ場所に同じひとびとのところに、戻り続けるということ。それにより私はかれらにとって、「非マオリ以上マオリ未満」、あるいは「家族ときどき他人」という存在になってきている、と実感する機会が今回も多くありました。このことは、私がマオリのところに戻るとスイッチが切り替わり、かれらと同じように考えたりふるまったりできるようになってきている、ということの証でもありますが、同時に「非マオリ」・「他人」としてのまなざしが薄らいでいるということをも意味します。以前だったらば、「異文化だ!」と気付けていたことが、当たり前・普通になり、注意を払わなくなるわけです。

例えば、マオリと日常生活を送るなかでみられる、「いとこ」、「おば」、「おじ」といった概念の広さと使用頻度の高さ。その場にいるみなで一緒におなか一杯食べることに置かれる高い価値。親や祖父母が暮らしていた故郷に対する強い帰属意識。ヨーロッパ系住民や太平洋島嶼系住民、あるいはアジア系住民に対するステレオタイプ。こういった事柄が垣間見せる、現代マオリ社会・文化の在り方について、私はわかったつもりになっていないだろうか。言葉にしてどのような議論ができるだろうか。いかなる学問もそうですが、研究に終わりはありません。対象と長く深く付い合うことによって生じるジレンマを、改めて強く感じた夏季休暇でした。

【参考】
深山ゼミ、公開授業のおしらせ